メカスさんの亡くなられた部屋の片隅に佇んで、なんでわたくしは眩暈(めまい)を起こしたのかを、井上春生監督の力篇とも名作ともいってもよい映画『眩暈 VERTIGO』を幾度も幾度もみながら考えていた。
考えに考えたすえに気がついた、驚きとともに気がついたことを、二つほど書いておきたい。ひとつはメカスさん、彼のフラットに、寝室がベッドがなかったことだった。
Be its mattress straight
ベッドはまっすぐに
Be its pillow round
枕はまんまるくせよ
エミリー・ディキンソンのこの詩行に、このベッドと枕を、アメリカの心の芯のようなものとして把(とら)えて、そう神託にも似たひびきを聞いていたわたくしの心が、それをしばらく忘れてしまっていたことも、わたくしの起こした眩暈の原因であったらしい。ここでメカスさんの経歴を。
一九二二年リトアニア生まれの詩人・映像作家。四四年、ドイツ軍から逃れるため弟と国外脱出するもその後、強制労働所や難民キャンプを経験し、四九年に移民としてニューヨークに渡る。翌年、中古のボレックス(16㎜)キャメラを購入し、英語は覚束ないままに身の回りの映像を撮り始める。ファインダーを覗かない。ぶれた映像、ピンボケ、露出の明暗などまったく気にしないなど、独自の作品はやがて「日記映画」としての地位を獲得。代表作『リトアニアへの旅の追憶』(七二)など。実験映画の保存・上映を目的としたアーカイブを設立するなど、アメリカ前衛映画界のゴッドファーザーとも評される。二〇一九年一月二十三日、ニューヨークにて没。
亡くなられて、丁度一年、メカスさんの命日に、ブルックリンの住まいをお訪ねして、わたくしが起こした眩暈のもうひとつの原因は、右の略歴にもある。代表作の『リトアニアへの旅の追憶』をみたときの、そのときの眩暈にも通じていたことは確実なのだが、こんな機会にそのときの驚きを想起してみると、略歴でいわれている「ぶれ」「ボケ」「日記映画」という言葉でいい切れるものではなくて、さらに「あたらしい映画言語」というだけではなくて、そのとき、たしか一九七三年の新宿安田生命ホールでわたくしはみていたのだが、座っている椅子がものをいいだすような……そう全身に戦慄を覚えたのは、“はじめて聞く映画の言葉、……”だったのだといえる。フェリーニにもゴダールにも小津にも溝口にもそんなことは起らなかった。
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