評論家・専修大学教授の武田徹さんが、オススメの新書3冊を紹介します。
「わかる」を私たちは重要な到達目標としている。人と話すのも相手の気持ちや考えをわかりたいから。新書を読むのも「わかる」を目指すからだろう。
しかし「わかる」とは実際どういうことなのか。たとえば「覚える」とどう違うのか。何でもすぐに調べられるネット時代になって「覚える」の地位は大幅に低下した印象があるが、この序列づけは果たして妥当なのか。
信原幸弘『「覚える」と「わかる」』(ちくまプリマー新書)が例に引くのは仏門に入る者が行う、経典をひたすら読みあげる暗誦だ。その訓練を通じて関連する他の箇所が自然に思い浮かぶようになってこそ、経典の一節が理解できるという。
そこに言語哲学者ヴィトゲンシュタインの理解論に通じるものを感じる。平易なQアンドAスタイルで議論を進めて読みやすい橋爪大三郎『言語ゲームの練習問題』(講談社現代新書)が格好の入門書になるが、ヴィトゲンシュタインは理解を個々人の内面で起きる心的な現象とみなさず、人々が共有しているルール通りに自分でも行為できるようになることだと考えた。確かに修行僧は仏典を心身に叩き込む「暗誦」を通じて仏教の考え方の「ルール」を習得し、それを踏まえて仏の教えを説く能力を得ている。
こうして脳だけでなく身体をも動員して「覚える」ことで「できる」を「わかる」とつなげる考え方を踏まえるとき、興味深く読めるのが広瀬浩二郎『世界はさわらないとわからない』(平凡社新書)だ。少年時代に失明した著者は研究者となり、一昨年、所属先の国立民族学博物館で「ユニバーサル・ミュージアム──さわる! “触”の大博覧会」を企画した。印象的なのはその展覧会が「触常者(触覚に主に依拠して生活をしている人)」を受け入れただけでなく、普段は視覚に過度に依存しているがゆえに気づけていない触覚を通じた世界認知の豊かさを「見常者」が知る機会にもなったという点だ。その経験は身体の記憶として蓄積され、障がい者と共に生きる社会を作るうえで役立つだろうし、ユニバーサル・ミュージアムを本書を通じて追体験した読者も、共生社会作りに向けた一歩をささやかながらであれ踏み出したのだといえる。
新書を読むとき一字一句を暗記しようとは思わない。だが読書の記憶は血となり肉となって蓄積し、「できる」につながる。その事情はIT時代にも変わらない。効果を急ぎ目指して実用書を手に取るのもいいが、実用性に乏しく感じられる教養系の新書も「わかる/できる」を確かに増やしてくれるはずだ。
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