著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、瀬戸 健さん(RIZAPグループ代表取締役社長)です。
昔ながらのガラス張りのショーケースに、総菜パンや菓子パンが並べられている――。両親は福岡県北九州市で、小さなパン屋を営んでいた。建物は一階にパン工房と売り場、二階に居住スペースを配置し、両親、祖母、兄と姉、僕の六人で仲良く暮らしていた。
職場と家庭が一体となっているわけなので、幼い頃から父の働く姿を見ながら育った。というより、働いている姿しか見たことがない。昔は自動の発酵マシーンなんてものはなく、パン生地の様子は自分で逐一確認する必要があった。父は夜中の三時には必ず起きて、生地がちゃんと発酵しているかどうかを見に行く。それが済んだらまた布団に潜り、五時に起きて作業を開始するのだった。
パン屋は小学校の目の前に建ち、歩いてすぐそこには高校もある。休日は部活動に通う子供たちで賑わうため、正月とお盆以外は常に店を開けていた。そのため、週休二日制という感覚が、僕には長らく根づくことがなかった。
父を一言で表すなら「ザ・職人」。真面目で黙々と手を動かすタイプの人間だ。凝り性のため、パンに使うマヨネーズやケチャップは全部手作り。そんな父のアイデアで、店は次第にパン以外の商品も扱うようになった。売り場の一角には駄菓子コーナー、ゲームマシンを設置。たこ焼きや焼うどんも提供し、仕舞いにはクリーニング屋も始めた。
駄菓子を安く仕入れるため、一家総出でスーパーの特売セールを狙いに行き、瀬戸家が来店すると従業員に商品を隠されたことも。父は「五十円で仕入れて百円で売る、この金額の差を粗利と言うんだ」と、商売のことを教えてくれた。
寡黙な父だが、政治や経済の話になると途端に雄弁になった。店にやって来る小学生に、政治の話を一方的に喋り続けていたが、全く相手にされていなかったのを覚えている。僕にもなにやら小難しい経営の話をしていたが、起業した頃、実家の本棚で松下幸之助さんの本を見つけ、「この話をしていたのか」と妙に納得したものだ。父の話は全く覚えていないが、真面目に仕事に取り組む背中から、多くのことを学んだ。
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source : 文藝春秋 2023年4月号