著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、山本容子さん(銅版画家)です。
母が「母親」になったのは、私が小学三年生になった時からだと思う。父の会社が倒産し、大阪から東京へと引っ越しをした。生まれ育った海辺での大家族との暮らしは終わり、突然の出来事に対する不安を抱えたまま、空っ風の吹く関東平野での生活が、転校生として始まった。新居は、小さな二階建てのアパートの一階の管理人室だった。夏が近づいた頃、母は両手一杯のトウモロコシを運んできた。私と妹の大好物だ。そして家の前の畑を指差して、右側のひと畝全部のトウモロコシを買えたからパーティーをしようと拳をあげると、不思議にも数日後、まだ馴染めない同級生たちが集まった。皆で収穫し、七輪でお湯を沸かす間に野外でトウモロコシの皮やヒゲを剥いた。その楽しさと、茹でたての旨さは忘れられない。もちろん友達も生れた。また、アパートには風呂がなかったが、妹と私にそれぞれの風呂桶とタオルの入った風呂敷を担がせ、銭湯の煙突目指して行進しながら「大きいお風呂は、皆で入れて楽しいな」と歌った。空には満天の星。星座を見つけながら歩く時間は、後にその物語を描く事に繋がったなと、風呂上りのフルーツ牛乳の甘さと共に思い出す。
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source : 文藝春秋 2023年5月号