好きな本について話した事は何度かある。しかし、人生を決めるほどの影響力を持つ本、繰り返し読みたくなる本は数少ないのではないだろうか。
読んでから影響を受けた、と言えばそうだし、もしくは最初に読んだときから、その世界観にピッタリと“はまる”感覚があったとも言える。小さい頃から本と音楽が自分の居場所と感じていた。
でも、しっくりしない本は途中で読むのをやめてしまう。反対に気にいると、次から次へと同じ作家のものを読み、その中に出てくる作家や著書の名をノートにメモして、玉突きの様に次に読みたい本の世界が広がっていった。
20代始めにカミュの『シーシュポスの神話』(新潮文庫)を手に取った時、ある感覚が蘇った。10代後半にドストエフスキーにハマった時と同じ感覚だ。恐らく私だけでなく多くの人に、ある日誰かに「よそよそしい口調で話しかけられただけで、それまではまだ宙に浮いていた怨恨や疲労の全てが、一時にどっと落ちかかる」経験があるだろう。
私は比較的健康な心を持っているし、周りの方々への感謝の気持ちを常に持って生きている。しかし全体主義への反抗心を抑えられない時があって、若い時は特にそうだった。自分の頭で考えて理解できない事に同調はできない。『シーシュポスの神話』は、何も日本に限らず、同調を重んじる「社会」で生きていくことの困難に対し、逃避せず、真実を熟考し、疑問を凝視する勇気をくれた本だ。カミュは何を読んでも私の心に強く語りかける。『異邦人』に先立って書かれた『幸福な死』(新潮文庫)では、健康だが貧乏なメルソーとその恋人マルト、そして金持ちだが事故で両足を失ったザグルーの間に入り混る複雑な心理を通して、人の心や社会がいかに不条理に満ちているか、物事を一面的に裁いたり正当化することができないかを、鮮やかに描く。
タイトルの「幸福な死」は、すなわち幸せな人生の定義を、ストーリーをたどる読者各自に問いかけているかの様だ。その定義は隣人と必ずしも同一ではないだろう。そして究極には個々の違いに対する理解と尊敬こそが、平和への道ではないだろうか。カミュはドストエフスキーと同様に、私に客観的、かつ多面的に物事を考える習慣を植え付けた最も重要な作家だ。
シェイクスピアの愛
また、いくつかの本は音楽家としての私を形づくっていった。
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source : 文藝春秋 2023年5月号