ボブ・ディランがやってきて、大阪、東京、名古屋で11回のステージをこなして帰って行った。半世紀前の目で見ると、SFでしかないようなことが、2023年の現実になっている。アメリカのポップ文化を研究してきた自分にとっても、不思議である。
「なぜ、これほど多くの人びとが魅了され、いまなお求められ続けているのか?」と若い編集者氏に尋ねられた。まあ、それが「レジェンド」というものなのだろうが、それにしても、あの無愛想と、ますますのしゃがれ声で、価値がすり減ることはないのか?
しかし、ディランのブランド性とは何だろう。自分にまとわりついてくる「売り」のイメージを彼は常に振り払ってきた。世間が彼を「プロテストフォークの貴公子」に祭り上げようとしたら、エレキギターを弾き出す。その反抗に惹かれた人たちが彼を「対抗文化の顔」にしようとしたら、オートバイ事故を理由に隠遁してしまう。彼の詞の「芸術性」が取り沙汰されると、今度は美声でカントリー・ソングを歌い出す。自己を裏返し、信奉者を裏切ることで、一体どんな「価値」が保たれるのだろう?
彼の発するメッセージが、いつもネガティブな形をしていることに注意したい。「私はxxではない」「ノーベル賞はありがたがらないし、拒否もしない」。常に自分をずらし、「ガサツで粗暴な道(ラフ&ラウディ・ウエィズ)」を歩む。
抽象的な言い方になるが、「あれでもこれでもない存在」としてディランは、この世に具体的な場を占めることなく、純粋な〈フォース〉になることができた。彼の影響でロックの歌詞が変わり、音楽市場が全体としてアップグレードした。ディランの登場をきっかけに、ポップと文学の相互浸透が始まり、マスとエリートの仕切りが外れた……。
時代の変転をもたらしたボブが、その混乱に引き裂かれず、(数々のアップダウンはあったにしても)その晩年を「ネバーエンディング」なツアーをこなして生きているというのはやはり特別なことではないだろうか。
ディランに続いて、5月にはポール・アンカが東京でショーを行う。この2人、実は同い年で、どちらも1941年生まれ。この頃「お爺さん」とは言わなくなったが、今年82歳になる。
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source : 文藝春秋 2023年6月号