昨年の今頃の日本は、民主党政権下で混迷を極わめていた。反対にイタリアでは、非政治家のみを集めた学者モンティの内閣が難題に次々と挑戦し、内外からの讃辞を独り占めにしていたのである。ヨーロッパ諸国からは、イタリアも意外にやるではないか、と賞められ、日本人からも、なんでイタリアにできて日本にできないのか、という声さえ出たくらいであったのだ。
ところが、一年が過ぎた今、事態は完全に逆転している。
日本は昨年末に行われた総選挙で、混迷からの脱出を、プロの政治家たちに託したのだった。自由民主党に過半数を与える、というやり方によって。あれは民主党への失望票であって自民党を支持したわけではない、と言う人がいるが、良きにつけ悪しきにつけ、民主政では「数」が決める。日本の有権者の過半数が自民党に、やってみなはれ、決められる政治をと言ったことでは変わりはない。それを実現できるか否かは、与党に属す政治家しだい、ということになった。民主主義的にもスッキリしている。
反対にスッキリしなくなったのは、イタリアの政局である。今や混迷の極でその要因は諸々あるが、それらを「混迷の主人公」としてもよい三人の人物にしぼることで迫ってみたい。
まず、非政治家内閣を率いていたモンティ。選挙で選ばれたわけでもないこの人に混迷脱出を託したのは大統領のナポリターノだが、経済にはくわしくてもこの学者は、政治を行うとはどういうことか、を真に理解していなかったのではないかと思う。彼が組閣した内閣を、日本では「実務者内閣」と訳しているようだが、イタリア語では「テクニコ内閣」(技術者内閣)という。つまり、ある分野の専門家たちを集めた内閣で、大臣の大半は学者と高級官僚で占められ、それに経済人が一人加わった内閣だった。もちろんこれを率いるモンティも、経済学のテクニコである。だから、緊急時の一時的な政府、にかぎるならば存在理由はあったのだ。
ところがモンティは、託された緊急時期もあと少しで終るというときになって、総辞職したのである。しかも、総辞職してボッコーニ大学の学長にもどるのかと思っていたら、政界への進出を宣言した。「テクニコ」から「ポリティコ」に変身するというのだ。「専門家」と、専門家だけでは済まない「政治家」はちがう。とくに、政治家たちのトップになる首相ともなると完全にちがう。小林秀雄は言っている。政治とはある職業でもある技術でもなく、高度な緊張を要する生活である、と。国内だけでなく世界中で起るあらゆる事柄に気を配り、それらがもたらす高度のプレッシャーに耐えつづけねばならないのが、政治家でありそのトップの首相である。だからこそわれわれ有権者は、彼らに強大な権力を与えているのだ。大学で教えていれば義務は果せる、学者とは比べようがない。
モンティの政界進出を知ったとき、この人はこのままでは退(ひ)けない、と考えたのだと思った。この人の内閣が成した良き具体例は、スプレッドと呼ぶイタリア国債とドイツ国債の評価差の縮小である。この数字が低くなると、イタリアが国債の買い手に払う利子が少なくて済むのだという。だが、これを成就する代わりにイタリア人が払った代償は、絶望的なまでの不況だった。
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source : 文藝春秋 2013年3月号