ミセス・サッチャーが死んだ。三度目の総選挙に勝っていながら、背後から、つまりは味方から刺されて首相を退任したのは、一九九〇年のことであったと思う。このニュースは、日本に帰国中に知った。なぜなら、その夜の食事をともにした人に向って言った言葉を、今でもはっきりと覚えているからである。
「ローマ帝国の通史をどう書き始めるかはわかっていましたが、どう書き終えるか、誰を取りあげることによって書き終えるかも、今日はじめてわかりました」
『ローマ人の物語』の第一巻の刊行は一九九二年、最終の十五巻目が出たのは二〇〇六年である。だから、サッチャーが政治の表舞台から退場したことを知ったのは、まだ準備中の時期のことだった。
ミセス・サッチャーは、何を商っていたのかまでは知らないが、小さな店の娘として生れた。オックスフォード大に入ったのも、パブリック・スクール経由ではなくて、グラマー・スクール経由ではないかと思う。となれば英国の伝統的エリートではまったくなく、傍流の生れであることが一生つきまとっていたにちがいない。その彼女が本流エリートたちを率いて祖国の再興に取り組み、なかなかの成果をあげたのだが、最後は本流エリートたちから刺されて引退を強いられることになる。
このことが起った十五年後に書き始める『ローマ人』の最終巻は、スティリコという、一千年以上にわたるローマ史でもついぞ見たことのない姓をもつ男から始まっている。
ついぞ見たこともないのも当然で、この人はローマ人ではなかった。母親はローマの女だったが、父親は蛮族の長だから彼も蛮族。ヴァンダル族という、ローマ帝国末期にはウンカの如く侵入してきた多くの蛮族の一つの族長の家に生れた。帝国末期にローマをおびやかした蛮族は、文明度ならば低くても、当時の新興民族ではある。その族長の子として生れたスティリコは、ヴァンダル族を率いて帝国の息の根を止める生き方を選んでも、誰からも非難されなかったろう。彼以外の蛮族のリーダーたちは、皆そのように生きていたのである。
しかし、この人は皇帝側に立ち、瓦解(がかい)寸前のローマ帝国を守るために、蛮族相手に闘い抜く。スティリコがいなければローマ帝国はもっと早く崩壊していたと、当時の人々でも言うほどであった。だから、この人を倒したのは蛮族ではない。彼を斬首刑に処すことで排除したのは、ローマ帝国の本流エリートの皇帝その人であったのだから。
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source : 文藝春秋 2013年6月号