阪神淡路大震災から十八年。いまや神戸でも阪神淡路大震災を体験していない人が人口の四割を超えるという記事を感慨をもって読んだ。その前後私は神戸にいた。スーパーコンピュータ「京」の運営諮問会議に出るためだった。会議が終って施設の見学があり、普通見ることのできない地下の免震構造を見せてもらった。「京」が置かれている計算科学研究機構は、阪神淡路大震災で液状化現象で大きな被害を受けたポートアイランド地区にある。また震災がきたらどうなるか。ここは建物を建てる前に徹底的な地盤改良を施したので、液状化は起きない。最新の免震技術で全重量三万トンの建物全体が免震ゴムで支えられ、もう一度阪神淡路大震災クラスの大地震(震度六強)が来ても、軽く受け流せるという。
この日の会議で、海洋研究開発機構(JAMSTEC)が作った、東海・東南海・南海地震が連動した際にどれほど恐るべき大津波が起るかを予測したシミュレーション映像を見た。それは唖然とするほどすごい。駿河湾から、紀州沖、土佐湾を含む、ほとんど日本列島の西半分がおおわれるくらいの巨大津波だ。
この地域は歴史上繰り返しM8クラスの巨大地震(津波)が起きてきた。それは、フィリピンから毎年四、五センチの速度で北上してくるフィリピン海プレートが、本州を載せるユーラシアプレートの下に潜り込みをはじめる海溝部分(南海トラフ)を震源とする大地震だ。震源のちょっとしたずれで、東海・東南海・南海などの異なる名称が付けられるが、本質はみな同じだ。プレート境界にストレスがたまって起る地震だ。この三つの地震は、しばしば二つが連動する。同時に起きたり、ちょっとした時間間隔(数十時間だったり数年だったり)で連続したりする。
歴史をたどると、日本書紀に記された「白鳳南海地震(六八四)」が南海地震の記録ではいちばん古い。「大地震あり、国挙(こぞ)りて男女叫びまどひき。即(すなわち)山崩れ河湧(わ)き、諸国郡官舎、百姓(人民)の倉屋、寺院、神社破壊するものあげて数ふべからず。(略)土佐国の田苑五十万余頃(けい)、没して海となる」とある。五十万頃は面積の単位で約十二平方キロである。それ以来、通算八回の南海地震があったとされるが、元東大地震研の都司嘉宣氏の『歴史地震の話』(高知新聞社)によると、実は歴史に埋もれたあと二回の南海地震があり、ほぼ百年から百数十年に一回の割合で、必ず起きているという。近いところでいうと、戦争直後(一九四六)の昭和南海地震。その前は安政南海地震(一八五四。東海地震と一日ちがいで連動)。宝永地震(一七〇七。東海地震と同時)。南海地震はスケールが大きいのが特徴で、記録に「亡所(町村が完全に消滅する)。一木一草残るなし」の表現がよく見られる。特に被害が大きかったのは、宝永地震の被害だが、このとき亡所となった集落が八十八もあった。
神戸新聞で、「津波犠牲ゼロ 諦めない」という大きな囲み記事を読んだ。なんのことかと思ったら、昨年三月末に、内閣府から次の南海地震の被害予測が発表されたが、その中で、最大の津波が来ると予測されたのが、高知県黒潮町。その高さなんと、三十四・四メートル。ちょっとした津波なら避難所、避難路を作るなど、難の避けようがいろいろあるかもしれないが、三十四・四メートルとなったら、絶望だろう。このニュースを前に聞いたとき、これは無駄な抵抗はあきらめて、手をあげるしかないのでは、と思った記憶がある。
ところがこの町が、町をあげて、犠牲者ゼロをめざす大計画をたて、それを着々実行に移しつつあるというのだ。しかも、ただのスローガンではなく、本当に実効性ある計画にするために、町民一人一人の避難カルテまで作るというのだ。普通、行政がやることは避難所、避難路などのインフラを整備するところまでで、あとはそのインフラをどう利用して逃げるかは、一人一人の自主的判断にまつということにするはず。しかし黒潮町では各人が具体的にどこにどのように逃げるか、一人で逃げられるか、誰か助けが必要か、必要なら、その人手をどうするかなどなど、住民の一人一人について、これで安心というところに逃げおおせるまで、一つ一つあらゆる障害を取りのぞく手だてを行政がともに考えていくことで、本当の犠牲者ゼロの実現をめざすというのだ。大都会なら考えられないレベルまで、行政が個人の生活に立ちいって手を貸そうというのだ。
一人一人の避難カルテを作るというところまで読んで、ああ、これは本気なんだと思った。そこまでやるなら、本当に犠牲者ゼロが実現するのかもしれない。地震とちがって、津波は、来るまでに時間がかかる。その時間を利用して逃げれば助かるのだ。
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source : 文藝春秋 2013年3月号