ふとテレビをつけたら、ニュースショー番組で、いま東京湾で起きている『領土争い』をやっていた。東京湾の「中央防波堤埋立地」の帰属問題だ。面白かったので、つい見入ってしまった。中央防波堤というのは、東京湾のド真ん中にある巨大な防波堤だが、その内側にも外側にも巨大な埋立地がある。そこが東京のゴミの最終処分場。私ぐらいの年齢になると、東京都のゴミの最終処分場として、反射的に出てくる名前は、「夢の島」。五、六〇年代当時夢の島は「ゴミの島」と呼ばれ、ゴミにまつわるいろんな事件が起きた。ゴミと夢の島は記憶の中でわかちがたく結びついている。あの頃、家庭の生ゴミはそのまま捨てられていたから、夢の島はいつも悪臭がただよっていた。すべてのゴミが分別も焼却もされず、ただただ積み上げられていた。人々を驚かせたのは、六五年六月に起きたハエの大量発生事件。ハエは、対岸の江東区南砂あたりにおしよせ、追っても追っても人の顔にたかった。どの家の天井もハエで真っ黒。夜はハエを追うのに疲れ果て眠れない人が続出した。殺虫剤をいくらまいてもハエは死滅しなかった。ハエが薬剤耐性を獲得して致死量の二千倍にふやしてもきかなかった。結局大量の重油をかけて、巨大なゴミの山(高さ二十メートル、長さ二百七十メートル)を燃やすことで切り抜けた。ゴミの山は何日も燃えつづけ、住民はその煙に悩まされた。重油で燃やす以前から、ゴミの山はしばしば自然発火して、くすぶりつづけるのが常態だった。
その頃、東京中のゴミ収集車が、山のようなゴミを毎日毎日夢の島に運びこんでいた。その量一日に九千トン(二トン車で四千五百台)。ゴミ運搬車で、江東区の道路は毎日渋滞に渋滞を重ねた。ゴミ公害を一手に引き受けた形になった江東区が怒りを爆発させて起きたのが、ゴミ戦争。各区内にゴミ処分場を作り、自分の区のゴミは自分の区内で処理の原則(処分しきれないものだけ夢の島へ)を作ろうとした。各区ともその要求に応じたのに、杉並区だけは、ゴミ処理工場を作ろうとすると住民の反対運動が起きることを理由に、夢の島への搬入をつづけた。これに怒った江東区は、区長以下住民と幹部職員がピケを張って、杉並のゴミ収集車だけは阻止した。杉並区はゴミがたまる一方になり、住民が悲鳴をあげた。これがゴミ戦争。
あの夢の島の正式名称は十四号地。六七年にこれが満パイになると、新しい処分場がその少し前から十五号地(江東区若洲)として作られた。そして、これまた七四年に満パイになると、その一年前から、若洲のすぐ先の海面に作られはじめたのが、前から台場沖にあった中央防波堤の内側埋立地。これまた八七年に満パイになると、そのしばらく前から中央防波堤の外側にも処分場を広げて使いはじめた(外側埋立地)。これを現在使用中だがいずれ満パイが見こされるので、中央防波堤外側の外側に新しい処分場を造りつつある。これを新海面処分場と名付けて、すでにその最初期の構造体が作られている(これを外側と合わせるとあと五十年はもつといわれる)。
そこでいま何が起きているのかというと、この中央防波堤内側外側の埋立地の行政区画上の帰属をめぐる争いだ。帰属が決まらないことには、住所が決まらないということで、ここは無住所地だ。住所が決まらないと、郵便配達ができないのはもちろん、あらゆる行政手続きが進行しない。たとえば、税金の徴収もできない。この帰属が決まらない土地、どれくらいあるのかというと、中央防波堤内側(立派な工場、オフィスビルがすでにならんでいる)だけで百ヘクタール以上。外側(造成中)が三百ヘクタール以上。新海面処分場にいたっては、八百ヘクタールもある。全部合わせると千二百ヘクタールある。これがどれくらいの広さかというと、既存の東京二十三区のうち小さいほうの中央区、荒川区、台東区、文京区、千代田区のどれよりも確実に大きくなる。
いま争っているのは、埋立地に隣接する江東区と大田区。どちらもトンネルや橋でつながっている。帰属いかんでとてつもない富がころがりこむから、両区とも目の色を変えている。江東区はこれまで埋立用のゴミの運びこみを一手に引き受けてきた立場を強調し、大田区は、この海域でノリ栽培や漁業をしていた区民が過去に放棄させられた海面利権の大きさを強調する。中央防波堤内側、埋立地の真ん中にそびえているのが、東京都環境局中防合同庁舎の十階建てのビル。その一番上の展望回廊から見ると、中央防波堤埋立地の全容がながめられるというので、出かけてみた。テレビの影響か見学のオバさんがゾロゾロ。なるほど広い。すぐ隣が臨海副都心のお台場だが、お台場全体と比較しても問題にならないくらいこちらが広い(約三倍)。お台場(十三号地)のときは、港、品川、江東の三区で争い、結局都が調停に入って三区で分割した(少しずつ住所がちがう)。お台場の現在を見れば、その富の大きさがわかる。実は夢の島のその後も、十五号地(若洲)のその後も、いまは立派な市街地、施設になっている。若い人たちはそこがゴミの島であったことなどまるで知らない。
展望回廊全体が、東京都のゴミ処理の歴史の展示場になっている。それを見てまわると驚くことばかり。ゴミ戦争だのハエの大発生だの恥になる歴史もあるが、現代ゴミ処理テクノロジーの驚くべき進歩も見せてくれる。東京のゴミ処理場では、ゴミ焼却熱で発電(十億キロワット)して年間五十六億円稼いでいる。鉄の回収で五億五千万円、アルミで一億二千万円、稀少金属で二億六千万円。リサイクルの稼ぎも立派だが、何よりすさまじい稼ぎは、そこに一つの区に匹敵するほどの新しい土地を生み出しつつあることだろう。新しい千二百ヘクタールの土地代を、近くの有明の東京ビッグサイトあたりの土地代(一平方メートル百万円)で換算してみると、実に十二兆円になる。
実は、埋立によって新しい土地を作りだすことを、東京では江戸時代からやってきた。埋立で作りだした土地面積、江戸時代すでに約二千七百ヘクタール。明治から平成のはじめまでで約六千ヘクタール。合わせて千ヘクタールの区なら八つ分以上だ。有明の土地代で換算すると実に八十七兆円だ。これだけの埋立が可能になったのは、このあたりの東京湾の水位が二から四メートルと浅いからだ。
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source : 文藝春秋 2013年2月号