私が出た高校は都立上野高校。上野公園に隣接していて、すぐ裏が東京藝術大学(美校)だった。藝大には安くてうまい食堂があって、堂々と入っていけば誰でも食べられた。昼食時には相当数の上野高校生が入りこんでいた。やがてそれがあまりに目にあまるというので、藝大から抗議がきた。藝大食堂利用の禁止令が出てみなガッカリした。
しばらく前から藝大の門を入ってすぐのところに「東京藝術大学大学美術館」なるユニバーシティミュージアムができている。あのミュージアムができた場所こそ、昔われわれが締め出された食堂があった場所だ。懐かしくていつか行きたいと思っていた。
先日、上野でたまたま時間が浮いたので、「いまさら」と思ってずーっと行かないでいた「国宝 興福寺仏頭展」を見てきた。なぜ「いまさら」なのかというと、興福寺の仏頭は、もう何度も現地で見てきたし、写真集、美術書などで何度も見ているので、頭の中にあのイメージがガッチリあるからだ。しかし、たまたまその日、日本経済新聞の文化欄で、黒田康子(しずこ)さん(元高校教師)の「仏頭の目覚め 見届けた夫/戦前の興福寺修理中、500年ぶり再発見に立ち会う」という記事を読んで、「これは行かねば」と思った。
黒田さんのご主人は、久しく(五百年近く)行方不明になっていたあの仏頭を昭和十二年(一九三七)に再発見した黒田曻義(のりよし)氏(文部省技官。当時興福寺を解体修理中)なのだ。「本尊・薬師如来の後ろの板壁をはがすと、台座の下に四隅の柱と4つの支柱に守られた小空間が現れた。内部にはあの仏頭が」とある。見つけたときはもう夕暮れだったので、正式の検分は翌日にまわした。
「仏頭の傍らで2、3人の同僚と一晩を過ごした。一升瓶の酒が差し入れられたが、飲んでも興奮で震えが止まらなかった」という。誰の目にも一目で歴史的逸品とわかる仏頭である。震えが止まらなかったのも無理はない。翌日の検分で、それが平安末期に興福寺にやってきた(実は僧兵による強奪)山田寺由来の仏像(薬師如来)の頭部であることがすぐにわかった。異例の早さでこれは国宝に指定され、今日にいたっている。
なぜそれほどこの仏像が特別視されたのかといえば、これは日本の歴史上きわめて有名な由緒ある仏像だったからだ。この彫刻で特筆すべきは、その美しさもさることながら、その由来とその後の数奇な運命である。
この仏像が生まれた背景には、日本の古代史上最も有名な冤罪事件がある。事件から仏像の誕生にいたる経緯には、三人の天皇が絡んだ複雑な人間模様がある。
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source : 文藝春秋 2013年12月号