教師と女生徒の学園恋愛ものの走りとなった小説だ。北海道の港町の米国系ミッションスクールを舞台に青年教師・間崎慎太郎と同僚でマルクス主義に関心を示す女教師・橋本スミ、早熟で聡明で美人だが自己破壊衝動を秘めた女生徒・江波恵子の三角関係に、思想的会話、東京、京都、奈良などの紀行文を盛り込んでいる。文体も構成も優れているので400字換算で1300枚の作品を一気に読むことができる。
『若い人』は、1933年5月から37年12月まで、石坂洋次郎の出身校である慶應義塾大学を母体とした雑誌『三田文学』に断続的に発表された。石坂は大学を卒業した後、青森県弘前高等女学校に勤務した。翌年、秋田県横手高等女学校に転任。29年4月に横手中学に転勤するまでの4年間の女学校での経験が、『若い人』には十二分に活かされている。37年2月に単行本『若い人』を刊行すると、ベストセラーになり改造社の社運を再興したと言われた。同年12月には同じく改造社から『続若い人』が刊行された。
昭和初期の円本ブームで、改造社は『マルクス・エンゲルス全集』や『資本論』を刊行し、左翼本で儲けた。しかし、36年のコムアカデミー事件で共産党系マルクス主義者(講座派)が、つづく第一次・第二次人民戦線事件で、非共産党系マルクス主義者(労農派)が一斉検挙され、論壇でのマルクス主義の影響は一掃された。左翼文献をビジネスにしていた書店はいずれも経営難に陥った。そのような中で、石坂は改造社の救世主になった。
第一次人民戦線事件で逮捕された向坂逸郎は、当時の雰囲気をこう伝えている。
〈昭和十三(一九三八)年の正月号『改造』には、私の長い論文が載ることになっていた。私は、この論文の原稿料で年の瀬をこすことにしていた。しかし、私の検挙とともに、むろんその論文を載せることは禁止された。(略)全く原稿料や著書の印税で食っていた家族の生活の前途は、暗澹たるものであった。
妻は改造社に出かけて、山本実彦さん(引用者註*社長)に訴えて、『改造』の原稿料をもらってきた。これを留置場で面会にきた妻にきいて、あの時期に、載せられない原稿に原稿料を快く払ってくれた山本さんに、感謝した。中尉か少尉ぐらいの青二才に、立派な大会社の重役が、頭をペコペコ下げる時代が近づいていたのであるから。
山本重彦さん(実彦氏の令弟)が改造社の営業部長をしていたが、妻に印税をわたしながら、
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source : 文藝春秋 2014年1月号