作家の嗅覚がキャッチしたソ連官僚の内的世界『さらばモスクワ愚連隊』五木寛之

ベストセラーで読む日本の近現代史 第8回

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官
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 1980年代後半、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長がペレストロイカ(改革)政策を開始するまで、ソ連は外国人に対してほとんど閉ざされた国家だった。外国人が訪問できる都市は限定されていた。ソ連崩壊後は、簡単に訪問できるようになったウラジオストクやユジノサハリンスクに外国人は立ち入ることすらできなかった。特にウラジオストクは軍港がある関係で、一般のロシア人も訪れることができない閉鎖都市だった。

 ソ連を旅行するときには、インツーリスト(ソ連国営旅行公社)と提携した日本の代理店から、航空券もしくは船舶券、鉄道券、ホテルの予約のみならず、空港や駅からホテルまでのタクシーと出迎え人、さらに一都市3時間の観光ガイドを雇う契約をし、かかる費用を全額振り込まなければビザ(査証)が発給されなかった。それでもソ連経由で、ヨーロッパに出る旅行は人気があった。当時は、格安航空券が普及していなかったので、横浜から2泊3日かけてソ連船でナホトカに渡り、そこから夜行列車でハバロフスクに行く。ハバロフスクからアエロフロート(ソ連航空)国内線でモスクワに渡る。そこから、国際列車でヘルシンキやパリに移動するというのが、もっとも経済的な旅行だった。1970年代の初めまで学生のヨーロッパ旅行は、ほとんどソ連経由だった。

 評者も1975年、高校1年生の夏にソ連・東欧を旅行した。行きは、当時出始めた格安航空券を使って、エジプト航空でカイロを経由しチューリヒに出て、その後、列車でプラハに入った。帰路はソ連の中央アジア経由で、ハバロフスクからは、シベリア鉄道でナホトカに出て、ソ連船「バイカル号」で横浜に着いた。『さらばモスクワ愚連隊』を読むと、日本の若者にソ連旅行が意外と身近だったあの頃の記憶が甦ってくる。この小説は、当時の日本人の旅心を刺激した。評者の手許にあるのは1972年刊行の22刷だ。五木氏のデビュー作で、小説現代新人賞を受賞したこの小説(1967年刊行)がベストセラーであったことがわかる。

 

 主人公の私は、興行師だ。大学を辞めた後、プロのジャズ・ピアニストとして売れていた。学生時代の友人の森島は、私と同様に学費未納で大学を抹籍された。その後、彼は労働組合の専従になったが、あるとき株屋に転身した。

〈お互に三十代にようやく踏みこんだばかりだった。そのくせ二人とも、すでに高価なダブルの背広がすっかり身についた感じの男になっていた。彼の名刺には、日ソ芸術協会理事という肩書きまであった。

「お前のことはよく聞いてるよ。呼び屋としちゃ一流だそうじゃないか」

 と森島は私の名刺をひねくり回しながら言った。「そこで少し頼みがあるんだ。まあ、どこか静かな場所でゆっくり話そう」

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source : 文藝春秋 2014年5月号

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