巻頭随筆

立川 談春 落語家
エンタメ 芸能

 夢の話をします。落語家が夢の話なんというと「どうせまた芝浜だろ」と思う方もいるかもしれないが、まったく係わりが無いので御心配なく。因みに「芝浜」とは三遊亭円朝作の古典落語の名作で、飲んだくれの亭主が女房の機転のきいた嘘によって改心してゆく物語。その嘘が「夢だった」というもの。師匠立川談志の十八番中の十八番と亡くなってから頓(とみ)に言われるようになったが、それはあまり談志並びに落語を聞いたことのないマスコミが風評を活字にしただけのこと。談志の本質は他にもある。ならば「芝浜」は良くないのかと問われたら無論そんなことはない。私だって15のときに芝浜を聞いて談志の弟子になると決めた経緯がある。要するに素人騙すにゃもってこいの根多だ。こんな言い方をすることが立川流の美学なのであるって、それは言い過ぎ。せいぜいポーズだ。しかし立川談志、やはり「芝浜」は大事にしていた。歌舞伎座での親子会で私が芝浜を演ったら「あの野郎、俺の前で芝浜を演りやがった」と怒って途中で帰っちゃったくらいだ。

立川談春 ©文藝春秋

 世の中には自分の見たい夢を自由自在に見ることができる人がいるそうな。猛者になると一度目が覚めてから寝直して夢の続きを見る、と豪語していた。ほんとうなら実にうらやましい限りだ。私は逢いたい人が夢に出てきたことがない。可愛いがってくれた祖父は25年間で一度だけだし、昨年亡くなった父は一度だけ夢に現われ全力で怒っていた。まさしく鬼の形相で、あんまり怒っているのが馬鹿馬鹿しくて笑ってしまったほどだ。師匠との夢での対面も異様だった。少し生生しすぎたのだが事実だから仕様が無い。談志が仰向けに寝ている。それを覗きこんでいるのだから私は談志に馬乗りになっているのだろうが自分の姿は見えない。見えるのは目を閉じて苦しげな表情を浮かべている談志の顔だけである。「何でこんなに苦しそうな顔をしているのだろう」とよくよく見ると、なんと私が私の両手で談志の首を絞めている。更に私は首を絞めながら叫んでいる。「師匠、もういいよね! もう充分だよね」。この問いに対しての答えなのか談志の唇が微かに動く。私は耳を談志の唇に当(あ)て行(が)う。「生・き・た・い」。一音節ずつはっきりと区切って呟いた。私は驚く。本当に驚く。もう一度耳を唇に当て行う。談志は同じように呟く。「生きたい」。病いと戦っていたときそのままの擦れ声で。私は絶叫し、号泣しながら首を絞めている両手に力を込める。談志の顔色が見る見る変わってゆく。そこで細く微かに自分の泣き声が自分の耳に届きはじめた。あれっ、俺、泣いているぞ、もしかして、これ夢か……。目を開けたら顔が涙でグシャグシャだった。泣くと、涙を流すとストレス解消になると聞いたことがあったが、確かに物凄くさっぱりして近年にない爽やかな目覚めだった。よく出来た話だが事実だ。なんで師匠の首を絞めなきゃならないんだろう。一体なにを断ち切りたくてあんな夢を見たのだろうと考え続けながら気づいた。その日は明けて11月21日談志のはじめての命日だった。本当によく出来た話だ。私は、うーん、とひとつ唸ってからその夢について考えるのをやめた。

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!

初回登録は初月300円

月額プラン

1ヶ月更新

1,200円/月

初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。

年額プラン

10,800円一括払い・1年更新

900円/月

1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き

電子版+雑誌プラン

12,000円一括払い・1年更新

1,000円/月

※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き
雑誌プランについて詳しく見る

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 2015年2月号

genre : エンタメ 芸能