6月25日、さいたまスーパーアリーナに75歳になったジュリーの誕生日を祝おうと1万9000人の聴衆が集まった。古代ギリシアにおいて音楽は神々への捧げ物だったという。この日の沢田研二バースデーライブはファンへの捧げ物であり、音楽の原点を想起させる清々しさに満ちた出色のステージとなった。まさに祝祭だった。
約2年にわたる「週刊文春」での連載をまとめた『ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒』を、6月初旬に上梓した。1954年生まれの私にとってジュリーは絶対的な偶像だが、書きたいと思ったのは20年以上も前、彼に取材したのがきっかけだった。
そのとき、ジュリーは50歳。映画のプロモーションのためのインタビューで、映画会社の応接室で向かい合ったジュリーは澄んでいて穏やかで、知的で、ウィットにとみ、深かった。
ことのほか私が心を動かされたのは、妻である田中裕子への敬愛である。私が映画「天城越え」の彼女のある演技について言及すると、彼も即座にそのシーンに反応した。ジュリーは、妻と対で生きるなかで価値観も生活も変わっていったと優しく語り、最初の結婚相手への慈しみも自分の葛藤も口にした。離婚と再婚がどれだけ大きな決断であったか。キラキラと輝くスーパースターのイメージしかなかったが、こんな男性はなかなかいない。
2019年の春、編集長だった加藤晃彦さんに声をかけてもらって「週刊文春」でジュリーを書くことが決まった。ここ15年当人が取材は受けないと公言しており、関係者のガードも鉄のように固い。そこへコロナ禍で人に会えなくなった。書きたかった評伝は断念し、時代やサブカルチャーをジュリーを起点にして描こうと方向転換した。音楽やファッション、ボーイズラブ、ファンである女性たちの人生などを、彼をネックレスの糸のようにして結び、ジュリーが近景で登場するときもあれば、遠景で一瞬顔を見せることもある。そんな連載にしていこうと、書き始めたのが3年前の秋だった。
しかし、いざ書いてみると、ジュリーは到底遠景になど置いておける存在ではなかった。資料を読めば読むほど、その一挙手一投足を追いかけるファンには周知の逸話も私には新鮮で、知らないジュリーが次々と現れるのだ。たとえばヒットチャートを独占していた時期に、彼は「俺は見世物でいい。芸人でいい」と言い放っている。関係者が少しずつ口を開いてくれるようになって、取材の過程で彼の発言の真意が見えてくるのはスリリングであった。
ジュリーにはヴォーカリストとしての力や美貌に加えて、反骨精神があり、プロとしての矜持があり、「一生懸命」努力することを厭わない真面目さ、仕事への情熱があった。だからこそ彼は、ジェンダーを越境するビジュアルとパフォーマンスで時代を切り拓いていったのである。周囲にいた誰もが惹かれたように、私も惹きつけられずにはいられなかった。
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source : 文藝春秋 2023年9月号