「チャーチルは歴史をつくったが、歴史を書く腕前も、それに劣らず一流だった」
リチャード・ニクソンは『指導者とは』(文藝春秋・徳岡孝夫訳)でこう書いている。そのうえで、回顧録は宰相が関与していない歴史のほうがよく描けていると評した。ニクソンは「いずれにしても」と断わりつつ「歴史を作る最良の方法は、それを書くことだ」というチャーチルの警句を引いて、それを忠実に実行したのは彼自身だったと結んでいる。米大統領を務めた人の筆遣いは流れるようで思わず溜息が出てしまう。
ニクソンの指摘は第一次大戦に関してのものだが、第二次大戦の前夜を扱ったチャーチルの『[完訳版]第二次世界大戦』の第1編にも当てはまる。彼は戦間期の大半を野で過ごし要職に就くことは稀だった。それゆえ「湧き起こる戦雲」を却って的確に見通せたのだろう。
「この時代に生き、行動したひとりとして、第二次世界大戦の悲劇は容易に避けられたはずだ」
英・仏・米の戦勝国がドイツの再武装を厳しく監視し、ヒトラーの野望を阻んでいれば、2度目の大戦は必ずや防げたはずと断じた。ドイツの軍事大国化を封じるロカルノ条約の協調体制が崩れていくのを漫然と見過ごした戦勝国の怠慢と不決断を真っ向から指弾し、どんな歴史書よりも説得力に富んでいる。
チャーチルが戦時内閣の一員として海軍卿に返り咲いたのは、2度目の世界大戦が勃発した直後だった。ロイヤル・ネーヴィーは“ウインストン帰還せり”と全艦隊に打電して歓喜したが、ナチス・ドイツは怒濤の進撃を続け、やがて対岸のノルウェーまでが陥落してしまう。祖国は存亡の淵にあり、希望の灯が消えかけていた。そんな最悪の情勢下でチャーチルは宰相の座に就き、第1巻はここで終わっている。苦難の渦中でいかに国民を励まし、英国を率いたのか。本書こそ危機に遭遇した真の指導者とはいかにあるべきかを示して全6巻の白眉といっていい。
1939年9月、独ソは相互不可侵条約を締結しポーランドに襲いかかった。『明と暗のノモンハン戦史』は、スターリンが草原に蝟集する関東軍への大攻勢を命じたのは、ヒトラーとの“悪魔の盟約”が成ると見定めたからだと書いている。戦いの発端は国境の小競り合いだったが、刻々と変化する欧州政局を睨みつつ、スターリンは関東軍に痛打を浴びせたのである。第二次世界大戦の前奏曲となったこの戦いでも、関東軍は陸軍中央の裁可を得ずモンゴル領へ攻撃を仕掛けている。外国領土への無断攻撃は、天皇の大権を冒す大罪だったが、末席の参謀だった辻政信が一連の作戦を主導した。「事実上の関東軍司令官」と言われた少壮の軍人は、戦いの後左遷されるが、すぐに大本営の要職に返り咲き、日米開戦の「推進役」を担ったと秦は記している。険しい戦局のなか英海軍はチャーチルの統御によく従ったが、日本では軍紀が乱れに乱れ幕僚の独断専行は目を覆うばかりだった。
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source : 文藝春秋 2023年10月号