十年一昔、十年一日

上田 岳弘 小説家
エンタメ 読書 芥川賞

 ことわざとか、格言とか、故事成語とかが昔から好きだった。好きというか、その言葉の意味することに納得できても、逆に腑に落ちなくても、いつか誰かが何かを言い始め、それをイイね!と思った誰かが真似て、伝播して、時代とともに意味を微妙に変えたり、付加されたりして生き残る過程や歴史、遠い未来にもまだ残っている可能性のことを想うと、なんとはなしに悠久に触れた気になる。

 人間万事塞翁が馬、蓼食う虫も好き好き、急がば回れ、などなど、由来は様々だけれど、目の前のものごとにとらわれて視界が狭まりそうになった時こそ、時のながれという洗礼をかいくぐった言葉たちがふっと気を楽にしてくれたり、冷静にさせてくれたりする。

 十年一昔。近頃、それをよく実感している。年を追うごとに、一年が過ぎるのが速くなるように感じ、僕の健康診断時期は八月なのだけど、毎年その時期になると、「え、もう一年たったの?」とびっくりする。それでも、一年一年、確実に時は流れているし、それが十年という塊になり、振り返れば、確かにその頃と比べて全然違った場所にいることに愕然とする。

2019年、第160回芥川賞贈呈式にてスピーチをする上田岳弘氏 ©文藝春秋

 十年前の十月に、僕は文芸誌の新人賞を受賞し、いわゆる作家デビューした。デビューといっても、雑誌に受賞作が掲載されるだけのことだ。成功が約束されるわけではもちろんない。その後作家として継続的に作品が発表できることが保証されるわけでもないし、もっといえば、その受賞作が単行本として刊行されるかどうかも定かではない。評判がよければ、もしかしたら刊行されることもあるかもしれない、といったところ。小説の新人賞受賞者に編集者がかける言葉として「今仕事についているならやめないように」とアドバイスするのが定石であるなどという言説が、いろんなところで語られているのを目にするが、まあ、概ね事実だ。理由は先に述べた通り。新人賞を受賞したからと言って、これからを保証するものは何もないのだから。

 十年前、その頃、何かに追い立てられるように原稿を書いていた。締め切り、というのももちろんあったけれど、それだけではなく、とにかく急いで書かなければならない気がした。僕が書かなければならないものは確かに目の前にあって、しかし、それは刻一刻と遠ざからんとしている。僕がそれをきちんと掴まないと、誰か別の人のところにいってしまう。いや、誰かのところにいくのならまだよくて、もしかしたらそれ(、、)は誰にも捕捉されることなく、僕が手を抜いてしまったがために、気を抜いてしまったがために、それ(、、)は、誰にも手が届かないほど遠くに行き、やがて消えてしまう。言葉にするなら、そんな謎めいた焦燥にも駆られて新人期間を過ごした。その頃はまるで青春が戻ってきたように十年一日のごとくじりじりとした日々で、マンネリ起因の矢の如く奔る光陰とは違っていたがしかし、そんな謎の焦燥もいつか去り、十年一昔のパッケージの前半として収まっている。それを振り返る今の僕は、見方によって長いとも短いとも感じる時間のありように、その放つ重力に、くらくらと酩酊を覚える。

 どの十年もそうだけど、もう一度やり直せと言われても、うまくこなせると思えない。あたかも高所で綱を渡るような危うさが、今思えばあった。そう感じるのは、この期間ですっかり変容した部分があるからか。十年前のさらに十年前、新人賞に応募を始めたのはちょうどその頃だ。応募を始めた十年後にデビューし、さらに十年経つと今に至る。思い出すことはできるけれど、とても自分に起こったこととは思えないほどの遠さがある。二十年なら二昔、のはずだけど、そうではなく、直近の十年にくるまれたより強い重さを持つひりついた一日のような十年がその中心にある。そんな多層構造の時の塊をきっとこれからも僕は作っていくことになるだろう。

 先月、十周年記念作品『最愛の』を刊行した。元となったのは、二十年以上前に書いたデビュー前の習作だ。デビュー十年の節目に、今ならやれるかもと、リライトを試みた。十年一昔と十年一日。二つ重なった十年の重みが作品に宿っていればよいと思うが、果たして。

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source : 文藝春秋 2023年11月号

genre : エンタメ 読書 芥川賞