私が幼い頃、気象台官舎のわが家をしばしば大伯父の藤原咲平が訪れた。戦時中、気象台長だった咲平は、偏西風を利用し米本土を爆撃した風船爆弾作成に尽力したため、公職追放となり、気象台での研究集会に来ても居場所がなかったのである。ある時、咲平が私に「一日に二粒ずつ米を食べるネズミは、一年に何粒食べることになるか」と問うた。四歳だった私は三〇〇と三〇〇を足し六〇〇、六〇と六〇を足し一二〇、五と五を足し一〇、その三つを足して七三〇粒と答を出した。大伯父は大いにほめてくれ、母に「ていさん、この子はものになるかも知れないよ」と言った。私が数学を好きになったきっかけだった。
ほめられるのがうれしくて、私は家に客が来るたびに「算数の問題出して」とせがむようになった。小学校二年の時、せがまれてうるさいと思った父が、「じゃあ、一から一〇まで足すといくつになるか」と問うた。順番に足せば答えは出るが、それでは父はほめてくれそうもない、と思った私は三十分ほど考えた。そして父に「分かったよ。一から九までを横に並べると真ん中に五がくるでしょ。一から九までの平均が五ということだから、これら全部を足すと五の九倍で四五、残りの一〇を足して合計五五だよ」。父はそれまでにないほどほめてくれた。
幼い頃のこの喜びは数学者になってからも変わらない。しかも解けた時のうれしさは時間をかけて苦労した後なら、それだけ余計にうれしく、愉悦と呼んでいいものだ。一週間や一か月もかけてやっと解けた時などは、うれし過ぎて、「我こそは神々に愛でられし天才」と勘違いするほどだ。私だけでない。ある後輩の数学者は、何か月も考え続けていた問題が解けた時は有頂天となり、池袋の下宿を飛び出し歩き始め、気が付いたら八王子にいた、と言っていた。
このような悦びは職業柄かと思った私は二十数年前、小学校五年だった三男サブに尋ねてみた。「『雪降る中、長靴を履いて一キロ先までおつかいに行ってきた時』、『紫式部の仕えたお后(きさき)の父親が誰か図書館で調べてわかった時』、『一時間頑張って図形の問題が解けた時』、の三つを比べるとサブはどれが一番うれしい?」。
算数が大好きというタイプでもないサブが「図形の問題」と即答した。「どうして」と聞くと「なしとげた感じ」と言った。「他の二つも何かをなしとげているのに、なぜ図形問題なんだろう」と言ったら、今度は一分ほど考えてから「雪の中をおつかいに行くのは誰でもできるから大してうれしくない」と言った。「紫式部の仕えたお后の父親は五年生にとってはかなり難しいけど」と突っ込むと「うーん」とうなったまま考え込んでしまった。
夕食時にサブが「さっきのことだけど、紫式部のことは時間さえかけて本を探せば誰でも分かることだから、分かってもうれしくないんだよ」と言った。そして、「図形の問題は解き方のひらめいたことがうれしいんだよ」と言った。
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source : 文藝春秋 2023年11月号