ナチ党のクーデター失敗から100年── なぜ今、独裁者を評価する声が高まるのか
田野 今年の11月8日で、ミュンヘン一揆から100年を迎えました。ナチ党がワイマール共和国打倒を図って武装蜂起したものの、半日あまりで鎮圧され、首謀者で34歳のアドルフ・ヒトラーは逮捕されました。その後、ナチ党は選挙を通じて政権獲得を目指す「合法路線」に転換し、10年後の1933年1月にヒトラーが首相に就任して政権を握ります。私は歴史研究者として、ナチ政権発足からその崩壊までを主な研究対象としてきましたが、お二人はミュンヘン一揆についてどう見ていますか。
石田 単に、跳ねっ返りの集団が一か八かで起こした事件と見られがちですが、実際はもっと複雑ですね。そもそも1923年はドイツにとって未曾有の混乱期で、国全体が大きく揺らいでいました。1月にフランスとベルギーが第一次世界大戦の賠償支払いの遅れを口実に、ドイツ随一の工業地帯ルールを占領します。ドイツ全土で物凄い反発が起き、政府は占領軍への一切の協力を拒む「受け身の抵抗」を呼びかけた。これが「ルール闘争」の始まりです。多くの義勇兵や若者が占領軍との衝突で命を落としました。9月末になって事態収束をめざすシュトレーゼマン政府が協力路線に舵を切ると、今度は一気に反政府の機運が高まり、当時「右翼の巣窟」と呼ばれたバイエルン州では共和国打倒の動きが本格化します。ヒトラーはその流れに乗ろうとしたわけです。
小野寺 たしかに1923年のワイマール共和国は、ルール占領をきっかけに危機的状況に陥りました。さらに追い打ちをかけたのが、物価が1兆倍になったハイパーインフレで、これにより中間層の生活が破壊し尽くされた。ミュンヘン一揆後になると、シュトレーゼマンは、新通貨「レンテンマルク」によってインフレをピタッと止めて、「黄金の20年代」と呼ばれる5年間の相対的安定期を作り出したのですが、このタイミングで建て直せたことは奇跡的と言えますね。
石田 ミュンヘン一揆は当時いくつもあったクーデター計画に連なるものですが、明らかに稚拙で、失敗は避けられなかった。ただ実際に敢行したことで、国軍や財界の一部が絡む形で準備されていた本格的な反ワイマール独裁政府樹立の動きが不発に終わったという面があります。ヒトラーは、皮肉なことに、その意図に反して、共和国の安定化に貢献したともいえるのです。
今年はミュンヘン一揆から100年の節目ということで、新しい刺激的な議論がたくさん提起されています。ナチズムやワイマール共和国をめぐる歴史研究は今、再び非常に興味深い時期を迎えています。
ナチスの政策を巡る論争
小野寺 石田先生は今年3月に東大を退官されましたが、初めてお会いしたのは私が大学1年生で授業を受けた時で、博士論文では副査も務めていただきました。石田先生と田野さんは一回りほど離れていて、私はさらに5つ年下です。ナチズム研究者として世代を超えて問題意識を受け継ぐ機会はなかなかないので、この鼎談を楽しみにしてきました。
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source : 文藝春秋 2023年12月号