2023年11月に亡くなった創価学会名誉会長の池田大作(享年95)と、社会派推理小説の泰斗・松本清張が、『文藝春秋』(1968年2月号)で対談していた。当時、清張58歳、池田40歳。前年の衆議院選挙で公明党が25議席を獲得し、創価学会に対する世間の目が厳しくなってきた頃だった。池田が幼少の思い出や入信の経緯、そして政界進出の真意まで語り尽くした"伝説の対談"を、特別に再掲載する。
松本 お忙しいでしょうね。
池田 ええ、今日は1人で抜けだしてきました。わたしは体が弱いものですから、まわりの人が心配して、できるだけ自由な時間を作るようにしてくれるのですが、どうしても……。それに性格的に、のんびりしているのは申しわけないような気がして、つい仕事をやってしまうんです。(笑)だいたい、半年くらい前から日程が決ってしまいます。
松本 健康でなきゃつとまりませんね。あなたの『若き日の日記』を見ますと、そのころ、胸が悪かったようで?
池田 ええ、生れ落ちてから体が弱くて何度か死にかけました。昭和25年ごろがいちばんひどくて、体重も十三貫そこそこまで落ちました。医者にみてもらっても、あと2、3年しかもたないんじゃないか、といわれたり……。その延長です、いまは。気力でもっているようなものです。
松本 いちばん大変なときは、昭和25年ごろだったようですね。戸田(城聖)さんの下で『冒険少年』という雑誌を出し、あなたが懸命に働いたが、不幸にして会社が潰れた。そこで戸田さんの傘下に集った人々の中には戸田さんを見限って散ってゆく人もある。胸が悪いあなただけが残って孤軍奮闘ということになる(注1)。
あなたが戸田さんと接触したきっかけはどういうことですか。
(注1)「先生(戸田)も私も、一日一日が、悪戦苦闘の連続だ。先生の事業、日増しに苦境に入るを、明らかに感じて来る。……戸田先生の後継は、私しかない。死んではならぬ。斃(たお)れてはならぬ。……唯々、深固(じんこ)幽遠なる、大哲理に、感涙あるのみ。……同志の、退職してゆく姿に、胸が痛む」(池田大作『若き日の日記』昭和25年7月の項より抜粋)
池田 それは小学校時代の友だちの一家が、戦前からの創価学会の会員でしてね。わたしも戦後の混乱期でもあり、青年として、いろんなことを考え煩悶(はんもん)していた。生命とはいったい何かとか、『善の研究』やらなにやら、本だけは手あたり次第読みました。それで、その友だちに誘われて、3人くらいで、蒲田の座談会に行き、戸田先生にいろいろ質問したのです。ほんとうの人生観とはどういうものか、ほんとうの愛国心とはなにか、神道に対してはどう見るのか、生命の本質はなにか、などいろいろ聞きました。
それに対して戸田会長は、なんのためらいもなく、気どりもなく、思ったままを話してくれました。それを聞いて、とにかく勉強してみようと入信したわけです。19歳のときでした。宗教に入るなんてことは考えていなかったから、相当長い期間にわたって心の中に抵抗があった。しかし、とにかく勉強し、実践してみよう、という気持でした。ですから、わたしの入信はこれという特別の決意や望みをもったわけではなく、いたって平凡です。
淋しそうな「軍国の母」
松本 『若き日の日記』を読むと、ずいぶん戸田さんに心服されていますね。ほかの人が去っても、最後まで戸田さんを熱烈に尊敬し、自分が守るんだ、と決心する。それから日蓮聖人の消息文とか、法華経の教義などを熱心に勉強されている(注2)……。
(注2)「『立正安国論』『三大秘法抄』をば血涙の出るまで、色読せねばならぬ」(前掲書)。なお戸田城聖よりは「諸法実相抄」「御義口伝」「三世諸仏総勘文抄」「生死一大事血脉抄」などの講義を聞く、とある。(池田『人間革命』)
池田 あまり勉強らしい勉強じゃなかったかもしれませんが、信仰を自分のものにしたかったし、いろんなほかのものと比較検討もしたかったし、一生懸命やったことは事実です。もう一つ申し上げますと、家の方もたいへんでした。わたしの家は没落企業のノリ製造業だったのです。
松本 大森(東京)ですね。
池田 そうです。これは因果な商売でしてね。寒いときでも朝早く暗いうちから起きて働かなきゃならない。えらい仕事の家に生れた、と思いましたね。わたしは五男で兄貴4人は全部兵隊にとられました。長兄はビルマで戦死した。子供がみんないくらか成長して、楽になりかかったときに出征ですからね。息子4人が次々と出征していくときの父母の淋しそうな顔を覚えています。おもてでは「軍国の母」といわれてましたがね。かげでは非常に淋しそうでした。深刻な生活問題もあるだろうし、せっかくここまで育ててきた息子を戦争にとられるという父母の悲しみ……そのときの印象は、生涯忘れられない。
松本 そのときはいくつでした?
池田 小学校6年生のころでしたから、十一、二歳だったと思います。そのころわたしは病気でしたが、兄が4人兵隊にとられたので、わたしが総領の立場になりました。
この時です。戦争は絶対にいけない。それから貧乏もいけない。もう一つ病弱もいけない。それは人間を悲惨に、不幸にするものだ、ということが、頭に焼きついた。戦後、戸田会長に会ったときも、この人は戦争に反対して2年間も、牢に入っていた、この人のいうことならば、わたしは信じてついていってもまちがいはない、と思ったのです。
生涯の師がほしかった
池田 ここで、かねてからわたしはいくつか松本さんにおたずねしたい、と思っていることがあるのです。松本さんの『半生の記』を一昨年の秋ごろと思いますが、発売と同時にすぐ買いまして、夜中の3時ごろから朝方までかかって、一気に読みました。淡々たる文章ににじみでた松本さんの性格に出会い、久しぶりに感銘を深くした本です。
読みながら松本さんも長い人生において、やはり人生の危機というものがあったのではないか。そのときそれを支えてきたものは、なんであったか、わたしはそこがもう少し知りたかった。
松本 わたしには別に宗教もないし、友人仲間もない。ひとりです。だから、卑俗的ないい方をすれば、人に負けたくない、という気持でしょうね。人には非常に滑稽にみえるかもしれないが、やっぱりある程度の自負心がないといけないと思いますね。
自分の目から見て、あまり尊敬できないような人がわたしの上にいる、その人たちがなんとなくわたしを蔑視的に見ている、ということに対して、ある不合理なものを感じる。差別に対する反撥といってもいい。この場合こっちの心がまえには二つあるんですね。
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