著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、真藤順丈さん(作家)です。
物書きの多分に漏れず自尊心が強いので、自分の才覚が親譲りだとはあまり思いたくない。みずから鍛えて研鑽した賜物(たまもの)だと思いたい。
作家としての才は、(1)物語る力(narrative)、(2)文章を書く力(writing)、の2つに分類できるが、少なくとも(2)は父からの遺伝ということで家族の見解は一致している。作家になったときも賞をもらったときも親戚は口を揃えて「さすがあの人の息子!」とめでたげに笑ったものである。
私の父も書く仕事をしていた。某機関誌の編集長として多くの記事を書いていた。父の仕事にきちんと接したことはないが、どんなものだったかを想像することはある。何やら使命感のようなものに衝き動かされ、意図せずとも自身の内面が文章の形で沁みだしてくるような筆致ではなかったか。記事と小説の違いはあっても、あんがい父子(おやこ)は似たような文章を綴(つづ)っていたかもしれない。
厳しくて頑固な人だった。遊びにつれていってもらった記憶はあまりない。文章でつながった父子(おやこ)というと気取った感じがするが、わざわざ括(くく)りを設けずとも私は父とよく似ている。年が長(た)けてより似てきた。頑迷で料理下手(べた)で、家族に疎(うと)まれがちなところとか……反面教師にしている面もあれば、こんな時に父ならどうするかと範(はん)を仰いでいるときもある。望むと望まざるとにかかわらず父は私にとってロールモデルであり、そして、ひとつの大きな〈謎〉でありつづけた。
今でもわからないことだらけだ。父の成功と挫折の潮目はどこにあったのか、あの日の電話でなぜあんなに哀しそうだったのか、家族が集まるとなぜあれほど嬉しそうなのか、あの時なぜ息子に「出ていけ」と言ったのか? 目から鱗(うろこ)だったのは、相似形の父子(おやこ)として、私も子供たちに同種の〈謎〉と対峙させるのではないかと気づいたことだった。父という〈謎〉は畢竟(ひっきょう)すれば、自分の運命や未来に待ち受ける〈謎〉にもアナロジーされる。そのとき私は〈謎〉をもたらす側に回る。言うなればそれは物語る力だ。冒頭の(2)のみならず(1)すらも私は父に素養を負っているのかもしれない。
と、うっかり故人のように語ってしまったが、私にとっての〈謎〉は、御年82歳で今も実家で元気にしている。もっともっと長生きしてほしい。多くの〈謎〉はまだ解かれていないのだから。
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