既成の教育は吹き飛んだ

加藤 崇 全地球財団CEO
ビジネス テクノロジー 教育

 アメリカに渡って8年の月日が流れた。共同創業したヒト型ロボット企業を2013年に米グーグル社に売却した後、僕は2015年に新たなベンチャーを設立するため、単身アメリカのカリフォルニア州、シリコンバレーと呼ばれるエリアに渡った。このハイテク産業のメッカで水道配管の劣化箇所を見つけ出す人工知能開発会社を創業し、2018年、これを日本の大企業に売却した。日本の教育や日本の企業、はたまた日本の社会に馴染めなかった僕は、何の因果か、アメリカという国に評価され、海を渡った。気づけば特別なビザの発給を受け、申請から2週間でグリーンカード(永住権)の取得が認められた。アメリカという国は、変化を恐れず、おかしなことがあれば、全力でそれを正そうとする「力学」がきちんとワークしている。

 シリコンバレーは世界の技術的変革を牽引し続ける。オープンAI社が開発した「ChatGPT」の登場によって、「情報を整理し、伝達する能力」が社会の中で相対的に果たす役割は、いま終わりを迎えている。かつて同じくシリコンバレー出身のグーグル社が開発した「検索エンジン」の登場によって、さらに同じくシリコンバレー出身のアップル社が開発した「iPhone」などのスマートフォンの登場によって、いたずらに「知識」を覚えることの意味が、社会から消滅した。情報を取得するだけなら、スマホで検索エンジンを操作すれば足りる。また、情報を取得するだけでなく、それを吟味し、構造化し、言語として発信することが、ChatGPTによって可能になった。

AI研究を牽引するオープンAI社のCEOサム・アルトマン ©時事通信社

 技術革新の社会への影響は計り知れない。これまでの社会モデル、その接続点となっていた教育モデルそのものが、1つの技術的イノベーションによって吹き飛んでしまったといえる。黒板にチョークでひたすら板書する教師たちの仕事は、既に消滅している。消滅していないと思っているのは、本人たちだけなのかも知れない。あるいはテストを編集できる、嫌いな生徒の成績を落とすことができるという権威だけが、そこに残っている。しかし、その権威を盾に、子供たちが自分の板書を書き写すことを教育と謳えば、子供たちの未来は犠牲にされ、やがて国は滅びる。技術によって変わってしまった社会に対する正しい認識が遅れれば、ある1つの国は急速に弱体化していく。

 影響を受けるのは、教育だけではない。企業で働くサラリーマン、とりわけ中間管理職と呼ばれる人たちの将来にもまた、暗雲が垂れ込めている。彼らが日常的に行ってきた業務、すなわち情報収集や、その情報の加工と伝達という業務は、既にChatGPTに置き換えられてしまった。情報を整理する頭脳はそこにあり、その頭脳は、通常の人間では追いつかないほどの精度とスピードを持っている。一方で、「人間の仕事は、なかなかコンピューターに置き換えることが難しい」などと時間稼ぎをしながら、他方では若者の雇用を圧迫し、自分だけ逃げ切りを図る大人たちで社会が溢れ返るとき、この国は弱体化していくだろう。かつて日本で起こった、大学を卒業したばかりの人間だけが就職に困難をきたす「就職氷河期」などという現象は、通常の社会では考えられない。そこには2000年前後のIT革命を起点とした世代間闘争があったことを忘れてはならない。

 ある一つの企業内の、ある一つの国の中の、内数としてのゼロサムゲームは、日本という国全体の未来を奪い、パイの縮小という結果をもたらす。技術革新が起こり、社会にある種の歪みが生まれるとき、こうした社会の変化を自らに有利なように捻じ曲げる大人や権威が現れる。そのような状況下では、事実を前提に未来を受け止め、民主的に物事を解決することが、真に求められる。いま僕は、電柱やマンホール、街路灯などのインフラ劣化を、無数の市民の協力によって発見する携帯アプリ「TEKKON」の運営会社で、社長として毎日を送っている。電力や水道、ガスは市民のものだ。教育や政治もまた市民のものだ。権威に頼ることなくそれを市民の力で守りたければ、市民起点で情報が整理されなければならない。新たな技術によって「正しい力学」を日本社会の中に埋め込むことができれば、より公正な社会が実現する。社会のあり方を破壊するのも技術ならば、構築するのもまた、技術なのだと信じたい。

 

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山根基世の「声で読む文藝春秋」2024年2月号

【朗読】「既成の教育は吹き飛んだ」加藤 崇

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source : 文藝春秋 2024年2月号

genre : ビジネス テクノロジー 教育