村山由佳「二人キリ」

文藝春秋BOOK倶楽部

綿矢 りさ 作家
エンタメ 読書

激しき愛の濁流

 れっきとした猟奇殺人の犯罪者なのに、現代でもその名に奇妙な色香を漂わせながら世間に知られる、阿部定。人気俳優の阿部サダヲの名前だったり、映画「愛のコリーダ」をはじめ、幾多の芸術作品の題材となって、彼女の名はいつまでも消えない。

 本書は彼女が愛人の石田を殺した事件からだいぶ経ったあとに、彼女のもとに石田の息子が訪ねていくところから始まる。事件に関係のあった人たちの当時の追憶が重なりあい、物語が紡がれていくが、阿部定という人の事件後の生涯の長さも味わえる設定だ。彼女は長寿で、刑期が短く、殺人後もすぐ世に出てきて、有名人に会ったり店を開いたりしている。事件後も世間に消費されてゆくのが特徴的だ。

村山由佳『二人キリ』(集英社)2310円(税込)

 本書では殺人事件のおどろおどろしさよりも、愛の濁流の激しさに飲み込まれて、なす術も無くなる登場人物たちの生きざまの方が印象的だ。文章からは汗臭さと血の匂いが漂ってくるのに、同時に文体の歯切れの良さからか、どこか爽やかに話がサクサク進んでいく。登場人物たちの江戸っ子っぽく、蓮っ葉なしゃべり方も気っ風が良い。

 激しすぎる魔性の女を、世の中の人はいつの時代も求め続けて、探し当てた先にはいつも阿部定がいる。というか、意外と阿部定しかいない。愛しすぎた男性を首絞めで殺した挙げ句、陰部を切り取って持ち去った女。阿部定がいる限り、悪女を架空の生き物とは思わずに済む。実在の阿部定自身が本当にそういう性格だったかは分からないが、本書は阿部定の性格を、相手が自分のことをどう思ってるか瞬時に悟り、その通りに演じてしまうと描写している。

 ふしだらで美人でモッテモテ、色気がありすぎて愛に男に溺れて身を持ち崩していく女性という役柄は、創作の世界では大人気だが、意外と現実世界では人気のある役ではない。みんな、憧れはするが実際に自分が選ばれてしまうと、裸足で逃げ出していく。何しても眉をひそめられる、損な役回りだからだ。本書を読んでいると、阿部定は事件後も前も、本人の激しい気質だけが原因でなく、周りの強固なファムファタル像への思い込みを投影されてきた人生な気がしてくる。この本での阿部定は事件後は小料理屋を営んで、自分の素性や事件を探りに来る人を手荒く追い返したりしている。かと思えば舞台や映画に本人役として出演したりして、隠れて生きたいのか目立ちたいのか分からない。他人と自分の欲求に翻弄された、混乱した人生だったことが伝わってくる。

 本書では彼女は子どもの頃から人の視線が止まるような目立つほどの器量よしとして描かれる。気が強くて、男性への関心も強くて、人を負かすためなら規則を破ることも厭わない。畳屋の経営が傾いた親に、親戚が営む斡旋屋に連れて行かれ、芸妓として売られるのが後に影響を及ぼす大きな経験になった。郭から逃げ出そうとしても捕まり、また新しい場所の郭へ売られていく描写は読んでいて辛いほどで、殺人という常軌を逸した状況にも彼女なら陥って不思議ではないと思い始める。

 色んな近しい人たちの証言から、幼少期からの阿部定の人となりが分かってくる仕組みになっている。次々リレーみたいに証言者の話が連なっていって、過去現在が入り乱れるのに、頭の整理がつきやすい。ついに阿部定本人にバトンが回ってきて、事件について証言し出したときには、面白すぎてページをめくるのももどかしかった。どうしようもないほどの恋の情念の最果てを描いた作品だ。互いの肉体への執着を極めた男女の最終形態とは。

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source : 文藝春秋 2024年4月号

genre : エンタメ 読書