著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、小原ブラスさん(タレント・コラムニスト・コメンテーター)です。
母ほど、好き嫌いで動く人に出会ったことがない。人間誰しも好きなこと嫌いなことはあるだろうが、世間体や常識的な判断で「嫌なことだけど我慢する」とか、「好きなことだけど、現実的に考えて諦める」ということがあるだろう。母は「我慢できない人」なのだと思う。そんな我慢できない母が生涯を注ぐ場所に選んだのが、我慢が美徳とされる国、日本なのだから皮肉なものだ。
母はウズベキスタン育ちのソ連人、僕を産む前には極東ハバロフスクに移住していた為、ソ連崩壊後はロシア国籍だ。
ソ連の良い大学を出て、どんな職にでも就けた母だったが、歌とダンスが好きというだけの理由で給料も少ないロシア民族舞踊団に所属し、ソ連各地を回って公演をした。その先で出会った男が僕の実の父だったが、僕が四歳の頃には彼を嫌いになったようで離婚。子供がいれば我慢して離婚しない選択をする家庭もあるだろうが、今の僕が日本にいるのは母が我慢できなかったおかげだ。
ソ連崩壊後、民族舞踊団の活躍の場は世界に広がり、母はたまたま訪れた地で愛し合った日本人とすぐに結婚を決めた。新しい日本人の父は素晴らしい人だったが、母に「なんでお父さんを好きになったの?」と聞いたことがある。「私、昔からジャッキー・チェンが一番好きだったの」と訳のわからない事を言っていた。好きに理由はいらないのだ。母は日本料理を熱心に学び、押し花アートや編みぐるみ制作に夢中になるなど、多くの「好き」に日本で出会った。一方で、ゴミの分別が細かすぎるのが嫌になったり、近所のママさん達との交流が面倒だという「嫌い」も少なくなかった。日本で「嫌い」に直面すると母はすぐ父に向かって「もう私ロシア帰る!」と言って困らせたが、その度に父はゴミの処理を有料の業者に依頼したり、近所の「こども会」にお願いして脱会させてもらったり、母の我儘にちゃんと向き合っていた。
日本の父は死ぬ数ヶ月前にこんな事を言っていた。「俺の会社が倒産して貧乏になった時、親戚ですら皆離れて行った。ママにも苦労するから離婚するか聞いたら酷く怒られたよ。ママほど俺を愛してくれた人はいなかった」と。
嫌いなものは避けるけど、好きなものは夢中に愛する、母のちょっぴり我儘な生き方が僕は好きだ。
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