最晩年の傑作
高校生のときからずっと、私は山田太一さんのドラマのファンである。熱心に見ていたと自分では思っていたけれど、そうでもなかったと、本書が出版されて思い知った。
本書におさめられた3作は、東日本大震災のあとに放映された、山田太一作のドラマ台本である。私はこれらを見ていないばかりか、放映していたことすら知らなかった。
![](https://bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/0/4/1600wm/img_042313452e7490a65046452a5382c7be171375.jpg)
老築化した団地に住まう老人たちと、旅先で大震災に遭遇した若い男女の交流を描く「キルトの家」は2012年、震災による被害の有無が、婚姻によって縁のできるはずだった2家族を分けてしまう「時は立ちどまらない」は2014年、ダンスをする女子中学生と、謎だらけの中年男性の、奇跡のようなかかわりを描く「五年目のひとり」は2016年の放映である。
作品の冒頭に、役名と、演じた俳優名が記されている。これだけでもう、書かれた言葉の一言一言が、それぞれの俳優の肉声となって脳内に再生される。私の知っている俳優も知らない俳優も、いつしかその役柄そのものになり、動き、出会い、話し、照れ、涙し、笑い、心を通わせていく。その光景が、戸惑うくらいにはっきり見える。台本の力の凄みを感じる。
いずれの作品も、2011年に起きた東日本大震災が題材となっているが、描かれているのは、人と人とのかかわり――しかも、ふつうならコミュニケーションを取らない世代同士のそれである。高齢者と若いカップルや、50代の男性と中学生が、ふとしたことで言葉を交わし、おたがいを知っていく。あるいは、ふつうなら親戚づきあいをはじめたはずの人たちに、乗り越えられない亀裂が生じてしまう。
震災から3年たとうが、5年たとうが、かなしみから抜け出せない人がいる。まだ大声で泣けない人がいる。家族親族すべてを失った人も、旅した先でたまたま震災に遭遇した人もいる。何もなくしていないから、かなしむ資格がないと自分を責める人がいる。自分より多くを失った人がいると、かなしむことを遠慮する人がいる。
それぞれ、どこでどんなふうに震災を体験したか、しなかったかによって、かなしみは異なる。その差異を、作者は残酷なほどはっきりと描く。しかしながら、彼らが世代や環境の分断を超えて、なおわかり合おうとするとき、それを可能にするのは、その、個々人の異なるかなしみしかないのである。
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source : 文藝春秋 2024年7月号