外国文学が生きられていた時代

石田 英敬 記号学者

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 粟津則雄さんの訃報に触れた。いつごろ粟津さんの著作を読むようになったのか思い出せないのだが、書庫の奥から引っ張り出してみると『詩の空間』(1969)や『詩の意味』(1970)の章に鉛筆で印がつけられていた。高校2年ぐらいで読んだものと思う。文学少年のお決まりコース。小林秀雄の神話があった。麻疹のようにかぶれた。小林となれば、「人生斫断家アルチュル・ランボオ」、その次にはボードレールとかヴァレリーとかとなる。そして当然のように粟津則雄に辿り着いたわけだ。

 粟津さん訳の『ランボオ全作品集』は相当なロング・ベストセラーだったのではないか。ぼくの家の屋根裏には、元の家主の老婆が残していった御真影があったのだが、母親が「まあ、こんなもの」と眉をひそめたので額縁をもらい受け、『ランボオ全作品集』の口絵の少年ランボオの肖像写真を切りとって入れ替えて勉強机の前に飾っていた。

石田英敬氏 ©共同通信社

 粟津訳「感覚 SENSATION」がいまでも好きだね。「青い夏の夕暮には、小道伝いに、/麦に刺されて細い草を踏みに行こう」云々。

 本物の粟津さんと会ったのは、ずっと後、東京大学・本郷仏文の大学院に1度目の留学から戻った頃(1980年頃)だった。粟津さんは法政大学で教えていらしたが非常勤講師として出講されていた。学部の授業だったので出席できず残念。高校生の頃からの読者だったから、ナマ粟津さんにお目にかかれたのは嬉しかった。第一印象は、ランボオというよりか、お、ヴェルレーヌに似た風貌! 普段は無口で大人しい方のように見えた。

 当時、仏文研究室は安田講堂に対して向かって左側の法文1号館の2階にあった。ある種の大家族のような雰囲気だった。授業の日になると先生たちも院生もなんとなく集まってきて、大きなテーブルを囲んでお茶をのみ談笑していた。初夏の頃は銀杏の緑の光が窓から流れこんで縞をつくり、じつにゆったりとした時間が流れていた。休み時間がずっと長かったと思う。

 二宮敬先生はいつもにこにこして、調べ物をしながらいろいろな書誌の調べ方を教えてくださった。授業のあとはいつもどこかへ飲みにご一緒した。渡辺一夫先生をはじめ、先輩の先生方の話をして仏文のハビトゥスを新入りに伝授するのを役目と心得られていたと思う。酔っ払うと海軍少年兵時代だかの悲惨な戦争の思い出を語り短剣を見せてくれたりしたこともあったな(もちろん大学でではなくお宅でね)。

 山田𣝣(じゃく)先生は伝説的な講談調の名調子で授業をされていた。授業を終えて研究室にもどってくると、あ、あれですな〜と、やはり江戸弁で世間話をなさった。まことに優雅な午後の時間が流れていたのである。

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source : 文藝春秋 2024年9月号

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