旅を題材にした小説や旅行記、エッセイなどを今年はいくつか読んだ。『つげ義春が語る 旅と隠遁』を興味深く読んだ。それから井伏鱒二の『七つの街道』と『さざなみ軍記』、和田誠・平野レミの『旅の絵日記』、松浦寿輝『わたしが行ったさびしい町』などを読んだ。幸田文の『崩れ』も再読した。
3月に友人と、調布から小型プロペラ機に乗って神津島に行き、そこからジェット船で新島、伊豆大島と駆け足で巡った。なかでも神津島が自分の肌にあうような気がして、5月にもう一度足を運んだ。なにかの記事に「2日あれば見て回れる」とあったが、余裕を持って4泊5日の旅程を組んだ。車で30分もあれば島の端から端まで移動できるので、たしかに記事どおり、名所の大半は2日でほぼ巡ることができた。
2日目の夕方、温泉保養センターに行くと、「観光ですか」と立派な体つきの青年に声をかけられた。「なんで来たんですか? 何にもないでしょう。出会いもないし、ほんと退屈です」と人懐っこい。
彼が日々感じている退屈さがどれほどのものかは計りかねるが、観光客の立場なりに多少は退屈さを実感していた。ただ、退屈と言っても、南国リゾート地のデザインされた退屈さともまるで違う。うまく言葉にできないが、もっと野蛮なものというか、妙な気配がある。海を眺めれば背後に天上山を感じ、山を見上げれば背後に波を感じる。
多幸湾の〈崩れ〉は、角度を変えていろんなところから見た。上空からも海上からも見たし、浜辺からも見たし、海に入って波間からも見た。堤防からも見た。多幸湾展望台からも松山展望台からも見た。黒島遊歩道を歩いて行った先の山の中腹からも見たし、天上山の山頂からも見た。しかし、どこから見てもまだ「見た!」という気がしない。いつ何がどうなってこんな〈崩れ〉になっているのか。今後どうなるのか。その物凄いエネルギーと巨大な時間に想像力が吸いこまれて、まったく見飽きない。
千両池や観音浦にも降りた。ロープを伝って崖を降りていくと、別の惑星のような未知の光景が広がっていて驚いたが、個人的には、千両池入り口に向かう山道のガードレールの侘しさと逞しさに色気を感じた。神戸山の乾いた風景も、そこに咲いていた花の艶やかさも楽しかった。前浜海岸沿いの道の上、村役場が建っている丘の葉簇(はむら)が海風に揺れているのを何度も目で撫でた。夜の村落の暗さと静けさ、波音の荒さも沁みた。
前浜海岸から左手にある岬に、「おたあジュリア」を偲んで建てられたという大きくて真っ白の十字架が見える。晴れた日の夕方に、その十字架のあるありま展望台に行くと、刻一刻と変化していく光の時間と、海岸に寄せては返す波の時間と、村落の明かりが少しずつ灯っていく生活の時間と、山際にまるで理科の実験のように雲が形成されていく時間が流れていて、陶然となる。夜になると見事な星空が広がって、すごい。
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