日本人の「善」とは何か
保守とは、個人的な理念ではなく経験の事実を重んじる思想だが、それなら「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである、個人的区別よりも経験が根本的である」という言葉を、その序文に書きつけた西田幾多郎『善の研究』(明治44年)は、日本の保守を考える上でも無視するわけにはいくまい。
輸入学問として始まった哲学において、飽くまで日本の現実から離れまいとした西田にとって、「経験」とは、ともすれば個人的観念に浮き上がってしまう言葉を、どうにかしてこの現実に引き留めておくための錘りだったと言える。
では、なぜ「個人」による反省的思考ではなく、「経験」の方が根本的なのか?
それは、「経験」が純粋であればあるほど、それが対象を超えて世界を有機的な全体として現前させるからである。
なるほど、私たちは世界を分割することによって対象を明確に把握しようとしてきた。白と黒とは対比され、有用な物と無用な物は区別されねばならない。
だが、私たちが白と黒を分割し比較するためには、その根底に「色」という統一的な経験がなければならないのではないか。つまり、私たちが分割的に捉えているモノの世界の根底には、必ずそれらのモノを超えた統一的な直観力(コト)が働いているのであり、世界の全体は、その純粋経験と共に一挙に私たちに与えられているのではないか。自由な反省や分析が始まるのは、その後である。
とすれば、その統一を成さしめている力は、個人によって対象化できるモノの領域を超えている。かくして西田は、この対象化できない力を指して「神」とも「無」とも言い、その純粋経験(生命)に近づく道を「善」と呼ぶのである。
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