「正しい語り」はひとつではない
リベラルな社会の条件は、いかなるときも「複数の語り」があることだ。
戦争を典型として、国民の全員を巻き込む事態が生じたとき、たったひとつの「正しい語り」だけが認められるべきだと、つい人は思い込む。特にファシストでなくとも、そのとき彼や彼女は、無自覚な「国家主義者」になっている。
そうした状況に社会が陥ると、当の問題が終わっても、簡単に自由は戻ってこない。いまなお「先の戦争」を語る営みが、いかに不自由であることか。戦時中との差は、語りの種類が、右と左の「ふたつ」に増えたくらいのものだろう。
推理作家の結城昌治は1969年、『軍旗はためく下に』で新たな語りに挑み、翌年の直木賞を受けた。東京地検の事務官として、軍法会議で処刑され恩給の対象からも外された兵士の実例を、多数閲覧した体験が基になっている。
彼らの行為が、戦争の遂行にあたり「望ましくなかった」ことは自明だ。しかし当時の前線では、戦後の価値観に照らして「好ましく」映る抵抗、たとえば堂々たる反戦運動も期待しえない。
「敵前党与逃亡」の章を土台とした深作欣二監督の映画版も傑作だが、いま最も心が騒(ざわ)めくのは、映像化されていない「従軍免脱」だ。タイトルは戦列を離れる目的で、故意に自傷する行為を指す。
先行きの見えない中国戦線で自棄的になった上等兵は、物資を前線に送らず私物化する腐敗した上官に憤りを覚え、血書の直訴状で告発する。しかし握りつぶされたばかりか、指の切断を従軍免脱だとこじつけられ、処刑される。
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