頂点を高く、裾野を広く、日本を再び「囲碁最強国」へ
苦しい展開が長く続いたので、謝科九段が投了し、勝利を手にした直後は、嬉しいというよりもホッとした気持ちの方が大きかった。その後、たくさんの方にお祝いしていただいて初めて、嬉しさがこみ上げてきました。ようやく「大きな目標をひとつ達成したんだ」という実感が湧いてきています。
4年に1度開催され、「囲碁のオリンピック」とも称される国際大会「応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦(応氏杯)」に出場した一力遼棋聖は、決勝の5番勝負で中国の謝科九段に3連勝し、世界タイトルを手にした。日本を拠点にする棋士は張栩九段が2005年に「LG杯世界棋王戦」で優勝して以来、久しくメジャーな国際大会の制覇からは遠ざかっていた。今回の優勝は、実に19年ぶりの快挙である。
一力棋聖は、父が社長を務める東北を代表する地方紙・河北新報の記者兼取締役でもあり、「二刀流」の棋士として知られる。
「世界タイトル奪取は日本囲碁界全体の長年の悲願だった」という一力棋聖が、世界制覇までの長い道のりを語る。
応氏杯は、他の世界戦に比べて、持ち時間が3時間半と長いのが特徴です。さらに他の世界戦では持ち時間を使いきると、一手40秒から1分の秒読みに入るのに対して、応氏杯は二目のペナルティーを払う代わりに35分の追加時間を得られるという独自ルールがあります。追加の考慮時間を最大3回まで得ることができるため、持ち時間は最長で5時間15分。日本国内の主なタイトル戦の持ち時間は3時間から8時間なので、日本の棋士は長碁(ながご)に慣れています。そのため日本の棋士が次にメジャーな国際大会を制するとしたら、応氏杯ではないかと考えていました。
実際、決勝の第二局、第三局は時間の使い方が勝因のひとつになりました。例えば、第三局では終盤、謝科九段は二目のペナルティーを避けたいという焦りからか、残り持ち時間5分で着手を急ぎ、それが致命傷になりました。対する私はその時すでに1回分の追加時間を得ていて、相手の隙を逃さずに突くことが出来ました。「長碁なら負けない」という自信が私を勝利に導いてくれたのです。
伝統文化かスポーツか
1980年代から90年代にかけて、日本の囲碁界は世界でトップを走っていました。武宮正樹九段、小林光一名誉棋聖、大竹英雄名誉碁聖など多くの棋士が世界戦を制し、中国や韓国をはじめ世界中から、多くの優れた棋士が「囲碁最強国」である日本にやって来ました。ところが、1990年代に日本は中韓に追い抜かれ、私が囲碁を始めた2002年頃には、大きく水をあけられていました。
なぜ勝てなくなってしまったのか。その背景には、様々な理由があります。
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