落語立川流の家元として、「落語は人間の業の肯定」と打ち出し、『芝浜』などの古典落語を熱演して人気を博した立川談志(1936〜2011)。弟子の立川志の輔氏が、師の破天荒ぶりと、その裏にある深い“落語愛”を語った。
「俺が死んだら、立川流なんぞ、どうなったってかまわねえや」
自分で立ち上げたのに「どうなったって」って(笑)。この言葉ひとつとっても、師匠・立川談志がいかに常識という物差しじゃ、到底測りきれない人物か、わかりますよね。
師匠が落語立川流を立ち上げたのは、昭和58(1983)年。私が28で入門した直後のことなんですが、まあ、のっけから驚かされました。だっていきなり「落語協会を出る。お前はもう寄席に出なくていい。俺がひとりで育てる」「お前は立川流の実験第1号だ」ですもん。もっとも、そんな無茶を言われても「一生、談志について行こう」って思っちゃったんですから、私も普通じゃないか(笑)。ただ、入門してすぐ気づいたんです、師匠は弟子を油断させない名人だってことに。おかげで毎日がヒヤヒヤの連続でした。
例えば楽屋。師匠は着替えしながら近くにいる弟子に「今、広島と巨人、どうなってる」なんて訊いてくる。弟子が口ごもってると、「知らねえんだったら、すぐに調べろ! 馬鹿野郎」ってなる。もうね、いつ危険球が飛んでくるかわからない。だから師匠が楽屋入りすると途端に人がいなくなる(笑)。でも前座として師匠についているときはリスク回避なんて芸当できるわけがありません。入門2年目だったか、永田町で議員の先生方と師匠が会食した時「これ、俺の弟子で志の輔っていうの。お前、ちょっと前でなんか喋ってこい」。お前って私? あまりの無茶ぶりに頭が真っ白。そのとき何を喋ったかですって? もちろんまったく覚えてません!
でも、世間が知る毒舌や破天荒に思える師匠の言動も、全てが落語に磨きをかける。無茶ぶりされた私の狼狽ぶりも、落語の登場人物や何かのシーンに必ずや生かされてる。あの「談志落語」に生かされてる。常に落語と自分の一致を考える日々、そんな天才芸人の傍にいたのです。
天井が落ちるほどの大爆笑
無茶といえば、国会議員時代にこんなこともありました。昭和50年、沖縄開発庁政務次官に就任し、それから1ヶ月も経たない記者会見に2日酔いで出ちゃったんです。「酒と公務、どっちが大切なんだ」って詰め寄る記者に「酒に決まってるだろ」。与太郎を地で行くような答えに即刻辞任となったわけですが、直後の落語会のマクラでこの話をすると、お客さんはもう天井が落ちるんじゃないかってくらい大爆笑だったそうです。
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