1970年代から80年代にかけて、「口立て」という手法を用いた独特のスタイルで“つかブーム”と呼ばれる熱狂を演劇界に巻き起こした劇作家・つかこうへい(1948〜2010)。『熱海殺人事件』『蒲田行進曲』など数多くの名戯曲を手がけた作家の素顔を、一人娘であり女優の愛原実花氏が語る。
父と仕事をしたことがある方は、“厳しい人”という印象が強いと言います。ですが、私に対してはどこまでも優しく、甘々なお父さんでした。子どもの頃、部屋の床に散乱していた本をプレイマットのように踏んで遊んでいると、「本はとても大切なものだから、絶対に踏んではいけない!」と雷が落ちました。怒られたのは、この一度だけ。ただ、ものすごい剣幕だったので、その1回が忘れられません。
平成4(1992)年、6歳のときに初めて父の公演を観劇したのは紀伊國屋ホールでの『熱海殺人事件』でした。必要最低限の簡素なセットの中で、ひたすら大人たちが言葉をまくし立て、攻撃的な言葉もいとわない。花束で人を殴りつけたかと思えば、突然、大きな音が流れ出す……。目の前で繰り広げられる世界に、子ども心にもショックを受けました。家ではまったく仕事の話をしない、優しい父にこんな一面があるのかと驚き、二重人格なのではないかって(笑)。
ずっと家にいるときもあれば、地方公演があると数カ月間、家からいなくなる。普通のお父さんとは明らかに違う。私の中で、父を理解したいという気持ちが強くなり、お小遣いを貯めてはさまざまな演劇を見るようになりました。観劇することで、父に近づけると思ったんでしょうね。その延長線上で出会ったのが宝塚歌劇団でした。
「宝塚に入りたい」と告げると絶句していました。ただ、自分の演劇観とは異なる宝塚のことを、エンターテインメントとして認めていた父は、私の願いを聞き入れてくれました。私が初主演を務めた作品を観に来たとき、父は「演じる喜びを知ってしまったか……」とぽつりとこぼしていたと、母から聞いたことがあります。
一方で、女優を目指すからには覚悟を持つことを求めてもいました。父が亡くなる1カ月前、容体が急変したと電話がかかってきた時、私は退団公演の稽古中でしたが、許可をいただき、新幹線で父が入院している東京の病院を目指したんです。ところが、父から電話が入り、「戻りなさい。稽古を抜けちゃいけない」。役者になるということは親の死に目に会えないような仕事なんだ――そう受け取った私は、名古屋で降り、大阪へ引き返しました。退団公演後、父と再会したときはすでにお骨になっていました。宝塚という青春と最愛の父を同時に失い、しばらくは何もする気力が起きなかったほどつらかったです。
平成27年、私は初めて目にした父の作品『熱海殺人事件』に出演し、刑事・木村伝兵衛に仕える婦人警官・ハナ子を演じる機会をいただきました。平凡な殺人事件を、木村伝兵衛が美意識にかなった捜査しがいのある大事件に仕立て上げようとする4人だけで行うお芝居です。
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