刑事法学の第一人者にして、最高裁判所判事、宮内庁参与などを歴任した團藤重光(1913〜2012)。死刑廃止論でも知られる氏の素顔を愛弟子の平川宗信氏が綴る。
「えれえ先生についたなぁ」。團藤先生の助手に採用されたことを教養学部でお世話になった山本桂一先生(後に法学部教授)に報告したら、ポツリとそう言われました。「大変な選択をした」と、青ざめました。
團藤先生は、国際的泰斗・碩学と言うにふさわしい法学者で、人格者として敬愛されてもいました。大人(たいじん)の風格があり、偉ぶらず、温厚で、誰にも同じように接する方でした。私の母は「色々な先生から電話が来るけど、團藤先生が一番ご丁寧だ」と言っていました。愛妻家で、食器洗いは先生の仕事でした。
弟子も大切にし、下請け仕事はさせず、勉強だけさせられました。自分の考えを押し付けることはされず、見守られるだけでした。私は、見放されたら大変と必死になりました。助手論文の草稿をお見せすると、「ここはもう少し考えた方が良い」とチェックされるだけで、OKが出るまで自分で考えるしかありませんでした。
お子さんがなく、若手を可愛がられ、軽井沢での合宿やご自宅でのパーティは、楽しい思い出です。軽井沢では、先生の別荘の庭で卓球に興じました。先生は、教本で勉強されて動きは良いのですが空振りが多く、「理論は正しいのだが、球が理論通りに来ないのだよ」と笑っておられました。
先生の立脚点は、人間を主体的な人格的存在とみる「主体性の理論」です。そこから、行為者の主体的な人格形成に刑事責任の根拠を求める「人格形成責任論」が導かれます。「主体的人格」という人間観は、先生の核心部分であり、法理論だけではなく、行動、生き方全体を貫く信念でした。先生の法理論は、先生の主体的人格に由来する理論と言えると思います。
先生は、晩年、「僕の主体性論のルーツは陽明学だ」と言っておられました。出身地の岡山は陽明学の遺薫の濃い風土です。ただ、私が若い頃は「仏教に共感する」、「主体性を追求すれば仏教の『諸法無我』や『空』の境地が要請される」と言われましたし、最晩年はカトリックになられたので、先生の「主体性論」の根拠や内容はかなり難解です。私は、先生の仏教的視点を引き継いで「主体性の理論」の再構築を試みています。
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