藤本和子(1939〜)はブローティガンの『アメリカの鱒釣り』、『西瓜糖の日々』(いずれも邦訳は昭和50年)などアメリカ文学の翻訳を通じて日本語に新しい息吹を吹き込んだ。その言葉に衝撃を受けた作家、翻訳家は枚挙に暇がない。その一人、作家のいしいしんじ氏が貴重な邂逅とすれ違いを綴る。
藤本和子さんの名前にはじめて触れたのは、多くの日本人がそうであったように『アメリカの鱒釣り』の表紙だった。晶文社のハードカバーで、ぼくは14歳だった。手にしたときは、やはりほとんどのひとがそうだったように、「あっ、釣りの本か」と思った。
ページを繰ると、どうやら小説らしい。主人公が釣り師、自然系の文学かも。ジャック・ロンドンの現代版とか。深く考えず、レジにもっていった。近所の東谷書店は、マンガと雑誌以外なら、なんでもツケで買えたのだ。
読みはじめ、驚いた。ひたすら驚いた。
たまに笑った。ときに胸をひきしぼられた。
こんな小説ははじめてだった。こんなことば、こんな日本語ははじめてだった。どこまでも新しく、それでいて揺るぎなかった。詩とか小説とか、そんな区分けはゆうゆう飛びこえていた。
これでいいのか、とぼくは思った。これでいいんだ、と嬉しくなった。1ページめくるごとに勇気がわいた。精神がうまれなおすような、いのち漲るその瞬間は、40年以上過ぎたいまも胸の奥で息づいている。
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