「文学」が書けなくなった私

町屋 良平 作家
エンタメ 読書

 前々から思っていた。私がかつて好きだった小説がどんどん入手困難になっていく。そのうえ、批評されなくなっている。いや、批評とはいわずとも言及されなくなっている。たった10〜20年前の作品がである。そして、かつて私が小説を志す背中を大いに押してくれた保坂和志や高橋源一郎のような魅力的な小説読解指南の仕事をする人がめっきりいなくなった。いずれ誰かがやるだろうと思ってからもう20年経った。私が考える両者のもっとも大きな功績は、一般にはそう思われていないかもしれないが、海外の小説と日本文学との接続にある。つまり多くの海外文学を、日本文学と同列に論じられるものとして読み継いだ。こういう仕事がないと「日本文学」は今後加速度的に狭くなっていくだろう。

 そこで私は「小説の死後──(にも書かれる散文のために)──」と題しおもに2000−2015年の重要と思う小説批評に乗り出した。とくに現在ほぼ絶版状態にあるといっていい青木淳悟『四十日と四十夜のメルヘン』(新潮社)がその一番の対象作になる。

 だが、それはある種の言い訳で、私はいま「文学」が書けないからしぶしぶ批評に着手したのだった。

町屋良平氏 Ⓒ平松市聖

 問題の発覚は2024年『生きる演技』(河出書房新社)という作品の発表後だった。初出となる文芸誌「文藝」に一挙掲載される際、担当編集者の多大なる情熱により、信じがたい量のエンピツ、つまり改稿提案が書き込まれた原稿が戻ってきた。細かい文字がびっしり書き込まれ、それにあきたらず裏面や継ぎ足した紙にまで書き込まれたエンピツ(中には純然たる感想というか、「思うところ」のようなものも含まれていた)は20万字を越える小説本文の文字数より多いのではないかと一瞬錯覚させられるほどであった。余談だがこのエンピツは本当にすさまじいため、いずれ世に出したいし、なんならデータ化していずれお目にかけられないかと目論んでいる。

 雑誌掲載時はほとんど文章にしか目が行かず近視眼的な改稿に終始した。ゆえに、雑誌に掲載されてから改めて資料にあたり、俯瞰して作品を眺める時間をとることができた。いまではその両方の改稿あって『生きる演技』はなんとか成立したものと捉えている。つまり単純に疲弊しきった。そして担当編集氏もまた、私同様に疲弊したことであろう……。

 それ以降、連載ものの続きを除いては小説が書けなくなった。短編の依頼なども応えられず断っている。だから他者の作品についての批評を書いているのだが、小説はもともとかなり批評に近い、というか実際ほとんどその区別はないのである。だから、批評を書き終えればおそらく自ずと想像力は小説に戻るのだろう。

 私のいわゆる「専業作家」になってからの暮らしぶりといえば、数時間執筆に集中して、その日はハイになっていて寝つけず薬に頼って眠る。翌日は寝込む。なにかしら執筆作業をした翌日は、集中力や好奇心がゼロという以上にマイナスになり、なにもしたくない、家事も「する意味が分からない」みたいに無気力になる。生活上の必要義務のようなものと分かっていたとて前向きに生きていないのになぜ部屋を綺麗にし着るものを洗うべきかよく分からない。端的に鬱っぽい。だが、丸一日寝込み頭がスッキリすると「書ける!」と思わずニヤついてしまうぐらいのよろこびに襲われる。このあと集中力と好奇心を使い果たしてしまうことを知り尽くしているとしても。それを私は「幸せ」だと思う。このところゆるやかに回復している私は、批評の執筆を経ることでおそらく2025年春以降にはあらたな「小説」を書き始められているだろうと信じている。

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!

初回登録は初月300円

月額プラン

初回登録は初月300円・1ヶ月更新

1,200円/月

初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。

年額プラン

10,800円一括払い・1年更新

900円/月

1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き

電子版+雑誌プラン

18,000円一括払い・1年更新

1,500円/月

※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事が読み放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年7,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 塩野七生・藤原正彦…「名物連載」も一気に読める
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 2025年2月号

genre : エンタメ 読書