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女の嫉妬、パトロンによる拉致……周りを魅了した志賀暁子

 当時、英百合子は中野英治と結婚していて2人の間には竜治という可愛い男の子まである仲だった。この男の子が現在の長谷部健である。大体、英百合子はユリメンの愛称で呼ばれ、その後も「英のママ」と若い女優たちにしたわれている人柄だけに、帝キネのスタアだったこのごろでも、所内の評判はひどくよかった。それが「若き血に燃ゆる者」の撮影が始まって間もない或る日、撮影所の表門の、衆人環視の中で、いきなり新入社の城りえ子を洋傘で、さんざんにぶちのめすという事件をひき起した。

 原因は亭主の中野英治と城りえ子との関係を邪推しての嫉妬からであろうが、(もしかすると百合子の邪推ではなく、事実何らかの関係が結ばれていたのかもしれないが)とにかく、相手の城りえ子が全く無抵抗だっただけに、英百合子の評判は俄然悪くなってしまった。それに気をくらせたのか、それとも何かもっと大きな理由があったのか、英百合子は「ステラ・ダラス」を焼き直した「向日葵夫人」に主演した後、「老け役ばかりやらされるのは御免だね」と笑いながら言うと、鈴木伝明、高田稔、岡田時彦たちが創立した不二映画へ行くと宣言して、帝キネを退社した。昭和6年のことである。

ステラ・ダラス」DVDのジャケット

 さて、問題の城りえ子だが、何といっても素人のかなしさ。何から何まで周囲の者が世話を焼かなければならないのだから大変な手数である。しかし彼女を発見して来た木村恵吾は、稀代のセンチメンタリストであり、おまけにフェミニストときている。木偶人形のような彼女を献身的に指導したことは云うまでもない。

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 そうした或る日、東京の大森駅の附近でロケーションの最中だった。ぐるりをとりまいた見物の人垣をわけて、1人の外人がつかつかと進み出たかと思うと、扮装したままの城りえ子をアッという間に、いずこへか拉し去ってしまった。突然の事に、腕におぼえのある通称「デムプシー」こと中山カメラマンも、ただ茫然と見送っているばかりだ。外人は無論横浜の酒場に働いていたころのパトロンにちがいないが、かんじんの相手役女優が居なくなってしまったのだから、これ以上撮影を続行することは出来ない。撮影は一時中止。後に代役を立てて、どうやら完了した。

新人監督作でデビュー 銀座のバーで「あき子」と名乗る女給が急増

 それから3年たった昭和8年、――その時にはもう帝キネという会社はなくなり、代行会社として新興キネマが出来ていた。撮影所も長瀬から京都の太秦蜂ヶ岡に移転。渾大防五郎はその企画部長だった。或る日、木村恵吾がやって来て、城りえ子をもう一度使ってみてはくれまいか、という話である。あれだけ会社に迷惑をかけた女を今更と、渾大防は二の足を踏んだ。渾大防ばかりではない。人事課長だった難波宮松は、自ら国士を以て任じている男だけに、この件に関しては頭から反対である。

 しかし、ここで渾大防は考えた。当時の新興キネマには村田実とか阿部豊とか、異国趣味ゆたかな監督が勢力をもっていたので、このひとたちのために、城りえ子を入れることもあながち無意味ではなかろう。

 面談の結果、採用。月給は80円と決まった。芸名は木村恵吾が名付け親となって「志賀暁子」と改めた。ところが、彼女は「あき子」というのは、与謝野晶子を除いて、有島武郎と情死した波多野秋子にしろ薄命の人が多いから変えてくれろと申し出た。しかし、そのねがいはうけいれられず、志賀暁子で再出発することとなった。婦人洋服を女唐服(めとうふく)と呼んでいた太秦の住人たちにとって、志賀暁子の出現は一大驚異であった。この頃の暁子は城りえ子時代の青臭さをすっかり脱皮していて、口数も少く、どちらかといえば控え目に近かった。それがまた一層、そのうちに燃える情熱の火の激しさを想わせるのであった。

化粧をする志賀暁子 ©文藝春秋

 彼女のデビュウ映画は阿部豊監督の「新しき天」ときまり、入江たか子、岡田時彦などと共演し、成功した。彼女の悩ましい瞳に光る情痴のきらめきの故であろうが、これを見て、いち早くその妖麗さに憑かれたのは、村田実だった。村田は伊藤大輔、田坂具隆、内田吐夢、小杉勇、島耕二、芦田勝などと、いわゆる日活七人組の脱退事件に加わり、新映画社を創立したが、あえなく解体、やっと新興キネマに落ちのびて来たものの、スラムプの絶頂にあった。村田は志賀暁子を一躍主演に抜擢して、異国情緒充分な「霧笛」を映画化した。木村荘八の挿絵に盛られた感じを美術の水谷浩は見事に映画的に再現して見せた。そしてこの映画における暁子の役は初めから彼女のために書きおろされたかのようにピッタリとしていた。銀座裏のバーに「あき子」と名乗る女給が殖え、どう書くのかと訊くと志賀暁子の「暁子」と同じよと答える者が多くなったのは、この映画が封切られて間もなくだった。