1972年作品(90分)/松竹/2,800円(税抜)/レンタルあり

 相変わらず、モテない。一方で春になると、花見やゴールデンウィークやらで、幸せそうな男女を多く目にする。といって、嫉妬心は湧かない。むしろ、ずっと眺めていたい。

 その光景が微笑ましいから――ではない。松本清張の小説や映画を多く目にしてきた身には、どんなに楽しげな男女や家族を前にしても「表向きそうかもしれないが、実は裏にはそれぞれドロドロした事情が渦巻いているに違いない」と自然と脳内変換されるからだ。一見すると幸せそうな笑顔は脆い見せかけで、誰にもドス黒い欲望が潜んでいる。それが、清張の世界。それをネタに、目の前を通り過ぎる人たちの「事情」や、やがて訪れる「終末」を妄想すると、思わず心が躍ってくる。

 今回取り上げる『黒の奔流』もまた、妄想の材料として最高の一本といえる。

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 主人公の矢野(山崎努)は野心あふれる若手の貧乏弁護士。殺人容疑をかけられた、見るからに薄幸そうな女性・藤江(岡田茉莉子)の無罪を矢野が勝ち取ったことで、二人は「男女」の関係になる。

「陰の女でいいんです」そう言って、矢野と共に過ごせることだけを望んでいるように思えた藤江だったが、ここは松本清張の世界。そう易々と思い通りにはいかない。

 矢野は裁判の勝利で一気に名声を得て、大物弁護士(松村達雄)の娘(松坂慶子)と婚約することになったのだ。これで法曹界に地位を築ける。そう思った矢野にとって、藤江は邪魔な存在になった。が、彼女は頑として別れを受け入れない。むしろ、「先生を誰にも渡したくないんです」と、「陰の女でいい」という前言を撤回してつきまとってくる。

 そして、終局が訪れる。その舞台は、とある湖畔だ。

 一組の男女が、湖でボートに乗っている。男は釣りに興じ、女はその横でリンゴの皮を剥く。誰の目にも、その光景は仲むつまじいカップルに見えるだろう。だが、清張の世界ではそうではないのだ。二人はそれぞれ別に目的があった。男の目的は、女を湖に沈めること。女の目的は、愛する男と二人で湖に沈むこと――。そして惨劇が起きる。

 本作を観て以来、週末に湖やら池やらでボートを漕いでいる人たちを進んで眺めるようになった。この世の全ては清張の世界。そう思うと、身勝手なムカつきすら覚えていた退屈な光景が途端にただの見せかけに過ぎなく思え、素敵な不穏感により、輝いて見えるようになったのだ。この笑顔の陰には隠れた欲望があり、ボートの上では何らかの計画が密かに進行している――と。

 退屈と孤独でヒマが潰せない方々に、この春ぜひ試してほしいエンターテイメントだ。