将棋は論理的なゲームだが、一方で、美意識の強い世界だ。

 大相撲で横綱が搦め手を使ったり、立ち合いで変化すると批判が出るように、「第一人者は正々堂々とあれ」という空気が将棋界にもあった。

 例えば、羽生さんは20代の頃、まれにそれまでの常識にはなかった手を指すこともあったが、勝つことで批判の声を押さえてきた。

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 現在はAIの評価値が“新たな権威”となっている感があるが、人間が持つ美意識もまだ根強く残っている。美しい、筋がいい、味がいい、手厚い、際どい、危ない――人間はこうした直感を形勢判断の助けにしてきた。特に、美意識から外れた手を排除することで、効率よく読みを進める考え方は、棋士の本能とも言える。

森内俊之九段 ©文藝春秋

視野を広く持つことは、将棋そのものの可能性を広げる

 もちろん例外も存在するため、美意識に固執することは例外を見落とす危うさにもつながる。最近では「見栄えは良くないが、深く読んでみると好手」といった手が、AIによってしばしば発見されるようになっている。

 藤井さんは、そうした自分の直感だけに頼った判断をしない。常にイレギュラーな手も読むように心がけているという。

《美学などの感覚があることで、人間はAIと比べて、効率よく考えることができます。ただ一方で、人間の感覚が多くの場面で正しいとしても、常に正しいわけではありません。だから、フラットに考えて、AIにとっての最善手などの「例外」を拾い上げることも、必要なのかなと思っています》(『考えて、考えて、考える』より)

 突き詰めれば、美意識も評価値も絶対的な基準ではない。

 視野を広く持つことは、一局の将棋に勝つだけでなく、将棋そのものの可能性を広げる意味でも重要なことである。

 そのためには、常識にとらわれてはいけない。

 名実ともに棋界の盟主となった藤井さん自身も、それを強く意識している。

《自分も常識にとらわれず将棋に向かっていく、革新的なところを大事にしていきたいと思っているんです》(『考えて、考えて、考える』より)

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