と、この紹介を読んだだけでも勘のいい人は気付くだろうし、本編を読み始めればすぐにわかることなので書いてしまおう。
古来、物語において、織田信長の例を引くまでもなく、うつけと呼ばれる人物が本当にうつけだった例しはない。中村主水の話を出すまでもなく、ぼんくらと評される人物が芯からぼんくらだったなんてこともない。
というわけで、実はぜんぜんぼんくらじゃない雪哉と実はまったくうつけじゃない若宮の、抱腹絶倒の掛け合いがまずは本書の魅力だ。次の金烏、つまりは皇子に向かって田舎貴族の次男坊が「馬鹿か、あんた」と突っ込むのである。何度吹き出したことか。
この雪哉がもう、べらぼうに可愛い。賢いし機転は利くし、くるくるよく動くし。そんな雪哉をサドっ気たっぷりに追い込む若宮(もちろん意味はある)もまた、読んでいてにやにやしてしまう。いやもう、萌えるわー。
しかしもちろんその裏では権謀術数が渦巻いているのだ。若宮がお后選びに一度も足を向けなかった最大の理由。それはお家騒動の真っ只中にいたからなのである。若宮の兄を次の金烏にと推す強力な派閥があり、その中でも過激派は若宮の命を狙っていた。若宮のそばにいるのは雪哉と、もうひとり、若宮の幼馴染で武に長けた澄尾だけ。こんな状態で自らの命を守り、敵対派と対峙していたのだ。
裏切り者は誰か。情報はどこから漏れているのか。信頼できるのは誰なのか。そのサスペンスたるや、そして驚愕の真相たるや、まさに巻を措く能わずである。
主への忠誠に、家族を思う気持ち……人間ドラマにも注目
と同時にこれは「忠誠とは何か」の物語であることにも気づかれたい。兄を推す一派には、兄に心からの忠誠を捧げる者がいる。一方、若宮にもそういう味方がいる。自らの家に忠誠を尽くす者もいる。そして雪哉の忠誠心は、自らの故郷・垂氷とその家族にある。
忠誠心とはすなわち、相手の幸せを願う気持ちのことだ。では相手の幸せとは何なのか。
このテーマはお家騒動にとどまらない。たとえば親子。子の幸せを願って親が叱ったり褒めたりしても、それが本当に子のためになっているかは別というような例は、あなたの周囲にも多々あるだろう。
雪哉はまだ子どもである。彼は自分なりに精一杯誰かのことを考え行動するが、周囲もまた雪哉のことを思っている。それが必ずしもイコールで結ばれないところが問題。自分に求められることと、自分が求めることの齟齬。そのどちらが本当に大切な人のためになるのかという迷い。これは雪哉が周囲の人の思いを知ることで自分を見つめ直す成長物語でもあるのだ。
若宮と兄宮、雪哉とその兄弟という二組の兄弟のあり方にも注目されたい。『烏は主を選ばない』は、心から相手のことを大事に思う、そんな人々がそれぞれ最良と信じる道を選び、進む物語なのである。
さて、ここまで書けば、もうひとつの不安――レベルを維持できるのか、ということもまったくの杞憂であったことは明らか。そもそも、第一作完成時にはすでに第二作もほぼ出来上がっていたわけだから。いや、もうシリーズ全体の構想すらできているというのだから! 何も心配は要らなかったのである。
さて、私は冒頭で「おそらく」と書いた。このシリーズは本物だ。おそらく――と。
なぜなら、ここまでの二編は、実は序章に過ぎないからなのだ。次代の金烏がお家騒動を鎮めお后を選び、さあ話はこれからだ、というところなのである。見ようによっては、まだ話は始まっていないのだ。
第三作『黄金の烏』では、ついに若宮はこの山内を襲う大いなる敵と戦いを始める。そんな彼のそばにいるのは、『烏に単は似合わない』で選ばれた后と、『烏は主を選ばない』で得た腹心の近習だ。物語はここから大きくうねりを上げて流れ出す。そのプロローグが、初期二作なのである。
ここからが本番だ。ここからもっと面白くなる。だからこの二作の時点で何かを断言するのを、私はうずうずしながらも堪えている。
今言えるのは、「乗り遅れるな」に尽きる。あなたが面白い小説を探しているなら。「物語」が好きなら。
八咫烏シリーズに、乗り遅れるな!
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※こちらは2015年に刊行された『烏は主を選ばない』(文春文庫)の解説の転載です。2024年5月現在、「八咫烏シリーズ」は12巻(うち2巻は外伝)まで発売中。