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これまで預かった里子の中でも、最も障害の重い子が、秋人くん(仮名、15歳)だった。重い知的障害を伴う自閉症で、言葉によるコミュニケーションも難しい。彼を預かる際に坂本さんが聞いたのは、母親が産む前から育てないと決めていた子だったということだけだった。母親は産んだ子に障害があることすら知らないらしく、では名付け親は誰なのか。夏に生まれたのに「秋人」と名付けられた理由も、わからない。

「アキくんは、2歳でこの家に来たの。『坂本さんが受けなければ、この子は施設に入ることになります』って、子ども思いの児相の担当に言われてね。これほど障害の重い子が一度施設に行けば、里親家庭に出ることは二度とないわけで。大勢の中の一人で生きていく人生が待っているわけです。そんなの『やります』としか言えないじゃない。覚悟して受けました」

秋人くんが来る前と来た後の両方に坂本家に訪れた私は、部屋の様子の変貌にひどく驚いた。

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出て行ってしまえば二度と戻っては来られない

「当時、やれることは全部やりましたね。なるべく物を置かないようにして、壊れるものはガードして、窓も玄関も常に施錠して。家中の棚の扉も、開かないようにきつく紐で縛りました。彼は話せないから、万が一にも突発的に外に出て行ってしまったら、彼はきっと家に二度と戻ってこれない。そういうことを理解して、私だけでなく、当時高校生だった歩も、歩の一つ下の広己も、秋人の安全に配慮してくれていました」

あの時、秋人くんは3歳ぐらいだったろうか。何か不思議な声を出しながら、部屋中をはしゃぎ回り、いつ、どう、気が変わるかわからない、突発的な激しい行動を繰り返す様子に私は目を奪われた。

ぶどうパンのぶどうだけをほじくって食べ、パンをぽいっと捨てるのを、他の子どもたちが「アキトー、だめだよー」と声をかけながら面倒を見ていた姿が印象深い。

それが今や、細身ながらシュッと背が伸び、春から高校生だというのに、大きな身体で坂本さんにベタベタとくっついて甘えていたかと思うと、歩くんの声かけにはちゃんと従って行動を起こす。何という、成長なのだろう。