「神様の実像」

第6回

エンタメ スポーツ
 

 打球はセンターに向かって伸びていた。9回裏ツーアウトから福岡ソフトバンクホークスの江川智晃が放った打球は角度も速度も、前進した外野の頭を越えるには十分だった。三塁ランナーはすでに同点のホームを踏み、逆転サヨナラを決める二塁ランナーも本塁へ疾走していた。福岡ドームのスタンドを埋めた人々が勝利を確信したように立ち上がる。

 “打球は浅いセンターのはるか頭上だ。はるか頭上だ”

 実況席でアナウンサーが叫んでいた。北海道日本ハムファイターズに絶望感をもたらす白球は大きな弧を描き、中堅手の頭の上を越えていく。打たれた谷元圭介は遠ざかっていくボールを呆然と振り返り、捕手の大野奨太はその場に座り込んで打球を見上げるしかなかった。

 この直前に栗山英樹がセンターのポジションを少し下げるよう指示を出していたことは、観衆はもちろんのこと、ホークス側のベンチも、グラウンドに立っている選手たちも知らなかった。栗山以外に認識していたのはファイターズのコーチ陣と、そしてセンターを守っている陽岱鋼(ようだいかん)しかいなかった。

 外野フェンスに向かっていく打球に対して、背走する陽は打球から一度、目を切って、自らを加速させた。それでもまだ追いつけない。ボールが重力に従って落ちてくる。白球が人工芝に弾めば、そこでゲームは終わる。最後の瞬間、これまでゴールデン・グラブ賞に3度輝いている名手は再び打球を見上げると、身体をわずかに右翼側へ切り返しながら、まるで1954年のワールドシリーズで、ニューヨーク・ジャイアンツの中堅手ウィリー・メイズがやったように、後ろ向きのまま左手を伸ばした。届くのか、届かないのか。無数の視線を集めた白球は地面に落ちる寸前、差し出されたグラブの先端に収まった。

陽岱鋼のキャッチには工藤氏も驚きを隠せなかった Ⓒ文藝春秋

 悲鳴も歓声もあらゆる声が交錯するグラウンドで陽が赤茶色のグラブを掲げていた。大谷翔平が左手を突き上げて三塁側のダグアウトを飛び出す。続いて次々とファイターズの選手が駆け出した。対照的に反対側のベンチ前ではホークスの選手たちと工藤公康が感情のやり場を失って立ち尽くしていた。なぜ、あの打球に追い付けたのか。誰もがセンターを見つめていた。グラブの先端にボールが入るか、入らないか。その差はわずか数センチであった。もしこのゲームの結果がペナントレースの行方を決めるとすれば、長い戦いの末に勝者と敗者を分けるものとしては、あまりに微小な差である。

 何が両軍を分けたのか。その場に説明できる者は誰もいなかった。工藤も、栗山でさえも、見えざるものの配剤であるとしか、答えは見つからなかった。

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source : 文藝春秋 2025年8月号

genre : エンタメ スポーツ