2012年に87歳で亡くなった、評論家・詩人の吉本隆明(よしもとたかあき)(1924―2012)。文学者の戦争責任や知識人の欺瞞を指摘し、数々の論争を巻き起こした戦後日本を代表する思想家でもある。30年以上に渡り家族ぐるみでつき合い、「吉本塾の門前の小僧でした」と語る「ほぼ日」代表取締役の糸井重里(いといしげさと)氏が貴重な思い出を明かす。
吉本隆明さんとの出会いは高校時代でした。昭和30年代当時、高校生は時代の空気に染まろうと背伸びをする傾向があって、政治と芸術運動を巡る「吉本花田論争」について同級生と議論したりしていました。僕も感化され、吉本さんの『芸術的抵抗と挫折』を読んだのですが、かなり難しい本だったためか、そのときは花田清輝(きよてる)のほうが圧倒的に面白く感じた(笑)。ちゃんと読者を笑わせてくれるところが高校生には響いたのかもしれません。

その後しばらくは「すごい人」として僕の頭の引き出しの中に入っていただけでしたが、1980年代に僕が雑誌などで文章を書き始めると、吉本さんが消費社会やマスメディアを論じた著書の中で僕のことに言及してくれるようになりました。最初に読んだ時は、あのヨシモトリュウメイの本に自分の名前が出てきたのでビックリしましたね。
そんなご縁もあり共同通信で初の対談の企画が持ち上がったのですが、実はお会いしただけで対談は中止になってしまった。当時、吉本さんは著名人の核兵器廃絶の署名運動に対する違和感を表明したことで、多くの論客やメディアを敵に回しており、僕を気遣ってくれたんです。
「こんな暴風雨の中で話をするのではなく、晴れた日に改めて会いましょう。いつでも僕の家に遊びにきてください」
その言葉を真に受けた僕は、吉本さんのご自宅に定期的に通うようになり、吉本塾の“門前の小僧”になりました。波長があっていたのか、論敵の多かった吉本さんにもめんどくさがられることなく(笑)、次女の吉本ばななさんたちと一緒に旅行に行ったり、親戚みたいな関係になりました。僕にとっては“普通のおじさんだけど宝物”のような存在でしたから、仕事で知り合った若い人に「こんな人がいるんだよ」というのを見せたくて、吉本さんの家に連れていき、あれこれ相談に乗ってもらったこともあります。
お付き合いする中で一番驚いたのは吉本さんの視線がとにかく低いということ。単に相手を慮(おもんぱか)るということではなく、人より低い地点から考えることが体に染みついており、常に「ふつうの人のふつうの暮らし」に対する敬意がありました。1960年代に進歩的知識人を批判した頃から変わらず、自分が「生活人」であることを意識していた、とも言えるかもしれません。
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