官僚として警察庁長官、内閣官房副長官を歴任し、政界に転じた後、中曽根内閣で官房長官、宮沢内閣で副総理などをつとめた後藤田正晴(ごとうだまさはる)(1914―2005)は、よど号ハイジャック事件、あさま山荘事件などの左翼テロ事件から、大韓航空機撃墜事件、大島三原山噴火など、大事件・事故に際して、危機管理の指揮にあたった。警察庁時代から内閣安全保障室長に至る三十有余年、部下として仕えた佐々淳行(さっさあつゆき)氏が、その指導力の核心を語る。
後藤田さんという人物を一言でいうなら「平時の能吏、乱世の雄」である。平時には官僚的秩序の具現者のごとく、手続きや権限といったルールに厳格だった。それが有事になると一変する。権限も階級も無視して、目をつけた部下を呼んで「君がやれ」と“特命”を下す。私はその一言で、あさま山荘事件、大島三原山噴火をはじめとする様々な任務に従事することとなった。

危機管理の指導者にとって、もっとも大事なのは優先順位をつけることである。官房長官時代、後藤田さんの下に21の省庁があった。そして各省の次官、官房長が日々、報告にやってくる。その中で、どれが緊急性を要する案件で、どこに時間とエネルギーを割くべきかを瞬時に判断しなければならない。「カミソリ」とあだ名された後藤田さんのさばきは、非常に見事なものだった。しかも、いったん非常事態となると、それらを一時、すべてストップして、全力で有事にあたる。禅に「獅子翻擲(ほんてき)」という言葉がある。獲物を見つけた獅子は、すべてを投げ出して、狙った目標に全力を注ぎ、仕留めるとサッと翻って次のターゲットに向かう、というのだ。後藤田さんはまさに「獅子翻擲」の出来る人だった。
後藤田さんの強みは、官僚を知り尽くし、かつ、それを超えた判断が下せることだった。その後藤田さんの哲学が最も端的に示されているのが、いわゆる「後藤田五訓」である。
昭和61(1986)年7月1日、総理と官房長官を補佐する目的で、内政、外政、安全保障、情報調査、広報の内閣5室が設置された。初代安全保障室長に任じられた私を含む5人の室長の前で、後藤田さんが示した初訓示は、まさに圧巻だった。
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source : 文藝春秋 2010年3月号

