水と木材に恵まれた地から、不織布技術をみがいてグローバルに飛躍
人口減少、少子化、高齢化
ゆりかごから墓場まで――とは、第2次世界大戦後、英国で掲げられ、やがて日本を含む各国へ広がっていった社会福祉政策のスローガンである。おぎゃあと生まれた赤ん坊のときから、与えられし生をまっとうするまで、公共の福祉が整えられることで、不安のない暮らしが守られる社会をめざした理想といえる。
人口減少、少子化、高齢化が同時に訪れる先進国でも初めての国に日本がなって久しい。将来の社会と暮らしへの不安を、若い世代ほど切実に感じる世になっている。
しかし、日々の暮らしに限っていうなら、ゆりかごから墓場の手前まで――そのように形容していいであろう業容で、日本のみならず世界の人びとの現実をリーズナブル(合理的)に安定、かつ向上させつづけてきた戦後生まれの日本企業がユニ・チャームである。
創業者の長男で、20年にわたり、社長を務めてきた高原豪久は、「40代の半ばのころから、多くの人が老眼鏡をかけるようになりますよね」と微笑みながら切り出した。
「疾病とは違って、老化は、たいがい自覚があまりないまま徐々に徐々に進んでいきますね。たとえば、われわれが夏場にグリーンでゴルフのプレーをするとき、涼しそうな白いスラックスを選んで穿いたりする。そのとき、ラウンドの合間、トイレのあと、なんだか少し不安になるときってありませんか」
高原はこの7月に還暦を迎えたばかりである。年齢が近いと知る私に、柔らかに表情を崩しながら、それとなく、まさしく文字どおり急所をついてきた。ちょっと怖いですね、と率直に苦笑しつつ答えた。ゴルフ場に限らず、外出先のトイレを出て歩き始めたところで、あ……と不如意の感覚に支配され、急いで身を隠したくなるような経験を、年を経るに応じておよそ誰しもする。
「当社にもいろいろなタイプの商品がありますが、老眼鏡をかけるような日常の感覚で、薄めのパッドを下着のパンツの中に敷いておくなどすることで、外出したりスポーツしたりすることを怖がらずにごくふつうにもっとしていただけたら、たぶん、私は日本ではピンピンコロリに近い人が増えてくると思うんです」
ピンピンコロリ。死の直前まで自分らしく気ままに活動し、病臥や看護、介護とは縁遠い暮らしを営んだ末、ぱたりと息絶える一生のことである。ピンピンコロリで逝きたいと、この高齢化社会の日本にあって、望まぬ人のほうが少なかろう。かような世にあって、自社製品について語ろうとする高原豪久が男性用のパッドの例を真っ先に挙げたことに、彼のフェアな人柄を見た気がする。
子ども用の紙おむつはだいたい3年、高齢者用おむつは平均で10年、さらに生理用品は約40年という個々の必要期間があり、かてて加えて、犬や猫らペット関連製品の分野でもユニ・チャームは日本でトップのシェアを誇る。つまり、私たちは生まれてから臨終を迎えるそのときまで、誰しもおおむねユニ・チャーム製品と無縁ではいられぬ生活を送っているのである。
高原社長
有事のとき生まれた不織布
さらに、いまやマスクのないシーンは考えられない日常となっているが、この製品でもユニ・チャームは人気ブランドである。新型コロナウイルスの感染を抑えるためには、綿製のマスクではなく不織布製のそれでなければ用をなさないことが私たちの常識となった。その不織布マスクには、ユニ・チャームのお家芸といっていい技術が凝縮されている。
会社の歴史を訊ね始めると、高原は「当社のコア・コンピタンス(核となる技術)は何なのかとよく考えるんですが」と自問自答するように話し、「生理ナプキンなどで培った不織布・吸収体の加工・成形技術に集約できます」とつづけた。
「大まかに歴史をたどると、第1次世界大戦中、物資が必要で天然のコットン(綿)を使い過ぎて、とくにヨーロッパで足りなくなってしまった。それで、木材を細かく削って繊維状にして、軍服や洋服の生地などに使うという、有事の中で、転用品として特殊に生まれて広まっていったのが不織布の発展の歴史なんです」
あらかじめ、高原の自著やインタビュー、ユニ・チャームに関する記事など、多数の資料に目を通していたが、簡にして要を得る右以上の記述はなかった。
スフやレーヨンなど、植物繊維を再生活用してできる不織布は、広い意味で人造絹糸(人絹)と括られ、第1次および第2次の大戦後の物資の限られた貧しい時代、綿に近い肌触りを持つ生活必需物資として、日常の暮らしで消費する衣類や生活用品にだけでなく、値の張る学生服や外出着などにも重用された。高度経済成長期以後、より安価に量産されて広まったナイロンやポリエステルなどの石油由来の合成繊維とは、品質も歴史も異なる。そして、高原が挙げた「不織布・吸収体の加工・成形技術」は、創業の地、愛媛という天然の恵みにあふれた故郷を語らずして綴ることはできない。
水と木材に恵まれた地で創業
父でユニ・チャーム創業者の高原慶一朗(1931‒2018)は、実に起伏の烈しい一生を送った。
愛媛県川之江市(現・四国中央市)に長男として生まれる。元の名を慶一郎といった。40歳になるころ、もっと明るい人になりたいと「慶一朗」と改名している。
愛媛県は、日本最大の内海である瀬戸内海に面し、日照、水源ともに豊かで、それゆえ農産物にまことに恵まれた土地であった。わずかに海を渡れば、関西にも九州にも至便であり、交通の要衝として、商いの盛んな土地として栄えてきた。
業務の中心である本社こそ東京都心に移して久しいが、ユニ・チャームの本店所在地はいまも四国中央市にある。四国中央市金生町……などと現在の町名でいうより、川之江といったほうが地元の人にも高原豪久にもすとんと腑に落ちる。愛媛の本店から、太平洋側を望むと、その名も法皇山脈という、なんとも神がかったものを感じさせずにおかぬ緑の豊かな高い山並みがいまも連なる。この山脈は、天より降り注ぐ水の恵みを湛え、森を介して自然を潤し、やがて人里へ流れゆく。
「愛媛は野菜も果物も美味しいんですが、とにかく水が美味しいんです。水道水がむちゃくちゃ美味い」
高原はそういって相好を崩した。
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source : 文藝春秋 2021年10月号