クリミアの編入問題で、ロシアのプーチン大統領がすっかり悪者扱いされている。アメリカからは、ウクライナの土地ドロボー呼ばわりまでされているが、この問題、それほど単純ではない。クリミアの住民投票で、圧倒的多数がロシアへの編入を望んでいるという結果が出たし、ロシア議会の議決でも、世論調査でも、プーチンのこの決定は圧倒的支持を受けている。「ロシアとクリミアは共通の歴史を持ち我々の心の中でいつも両者は一体不可分だった」と語るプーチンの四十分間にわたるTVのナマ放送演説に、ロシアの人々は涙まで流して聞きいっていた。
日本では、この問題が、もっぱらウクライナ問題の一部として論じられているが、もともと、クリミア問題は、ウクライナ問題の一部ではない。そもそもウクライナは、ロシア革命以後生まれた国だが、クリミア問題は帝政ロシアの時代からある。ロシアの啓蒙専制君主として名高いエカテリナ二世がポチョムキン大将の協力の下にタタール系のクリミア汗国を滅してロシア領として併合した(一七八三)のがはじまりだ。
クリミアを語るなら、本来クリミア戦争から語るべきなのだが、日本人でクリミア戦争を語る者はほとんどいない。日本人の記憶から、クリミア戦争がスッポリ抜け落ちているためだ。なぜなら、クリミア戦争が起きた年(一八五三)は、日本にペリーの黒船がやってきた年で、それからしばらくの間、日本人の記憶は日米和親条約とその勅許にまつわる幕末の動乱話がもっぱらになってしまっているからだ。そもそも日本人には、明治維新以前、世界史という枠組で、同時代のできごとをながめる視点が存在しなかった。同時代の外国で、どのようなできごとが起きつつあり、それが同時代の世界ないし日本にどのような影響を及ぼすかを考える視点も材料もなかった。日本人が、世界の列強諸国との付き合い方を一歩まちがえると、とんでもないしっぺ返しを受けるものだということを身をもって学んだのは、おそらく日清戦争の三国干渉からではないか。
クリミア戦争が起きた当時は、そういうニュースを聞いても、何が何だかさっぱりわからなかったにちがいない。実はクリミア戦争は、十九世紀に起きた最も訳がわからない戦争で、どことどこが何を争って起した戦争で、どう決着がついたのかも、日本では今もってもうひとつ理解されていない戦争である。
十九世紀は、帝国主義の時代と呼ばれる。ヨーロッパの諸列強が世界各地に植民地を拓いて、帝国を築き、覇権を争い有利な利権分配を求めて世界を分割しあった時代だ。
世界分割が一通り終ったところで、利害の調整問題から、グループにわかれて、世界全体が戦いあう世界大戦が二十世紀に二度も起きたことはよく知られる通りだ。
だがこの世界大戦、突然、火のないところに起きたわけではない。第一次大戦が起る前に、その前哨戦ともいうべき、もうひとつの世界大戦が起きていた。それがクリミア戦争である。別の言い方をすれば、決着が付かなかった小世界大戦(クリミア戦争)を、大々的に展開したのが第一次世界大戦といってもいいのかもしれない。
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source : 文藝春秋 2014年05月号