2002年の日朝首脳会談から早20年、横田めぐみさんの拉致からは実に45年が経過した。いまだ安否すら確認できない家族の無力感は想像するに余りある。筆者は、約40年前に勤務した富山県警において、日本海が眼下に迫る無人駅で夜間職質された北朝鮮工作員がその後自殺した事件の事後捜査に関与して以来、長年拉致事件を見続けてきた。関係者として慚愧に堪えない。
その数年後の1985年春、拉致した日本人原敕晁(はらただあき)さんに成り代わり韓国に潜入した北朝鮮工作員辛光洙(シングァンス)が検挙された。ソウルオリンピックを控え、テロ対策が急務であった韓国は、金大中事件で悪化した日韓関係を修復するための捜査協力に前向きであった。これにより、わが国捜査官はソウル拘置所において辛光洙の間接聴取を実施することができた。警視庁は、短期間で作成した分厚い被疑者調書を基に国内捜査を推進し、共犯者の逮捕による立件を目指したが、5年も前の拉致行為に関する直接証拠は得られず、さらに韓国調書の証拠能力を検察当局に否定された結果、無念の撤退を余儀なくされた。木を見て森を見ざる司法判断に対し、代替策を講じようとする警察幹部も見当たらなかった。キリスト像がある拘置所の取調室で黙々と拉致現場である宮崎県青島海岸の地図を描いていた辛光洙の姿は今も瞼に焼き付いている。
ソウルでの夕食会でのことである。韓国捜査当局の大物幹部は突然ズボンを脱ぎ、大腿部を貫通した銃弾の痕を筆者に見せた。そして「連中は日本に上陸するときは鼻歌交じりだが、韓国へ潜入するときは命懸けだ。生け捕りにしたいので銃撃されるが、私は不死身だ」と豪語した。屈辱的な言葉であったが、真実であった。
2002年の日朝首脳会談によって5人の拉致被害者が帰国できたのは、わが国外交の歴史的な成果と言える。ただ、代表団に拉致事件捜査に精通している者が一人でもいれば、北朝鮮側の説明が作り話であることは即座に見抜けたはずである。死亡通告はその場で受理せず、水面下での継続協議を申し入れたならばその後の展開も異なった可能性がある。
少数精鋭のプロ集団が必要
わが国は、拉致問題解決の手段として、経済制裁を主体とした「圧力と対話」路線を一貫して維持してきた。しかし、経済制裁などで屈する国家でないことは北朝鮮と少しでも接したことのある者であればすぐに理解できる。90年代後半の飢饉の際、平壌居住の政府高官宅でさえも食料が無くなり、夫人が隣家に助けを求めたが、隣家でも分け与える食料がなく、夫人は餓死したそうだ。「我々はあんなことではへこたれない。ソ連崩壊時の方がきつかった」とある北朝鮮関係者は述懐した。
兵士の人質解放交渉を専門とする中東某国の辣腕ネゴシエーターの話を聞いたことがある。その要諦は、(1)人質の所在確認(2)一刻も早い交渉入り(3)外交ではなく裏取引の三点だった。わが国拉致問題の実態を知ると、彼は天を仰いだ。
拉致被害者の安否情報につき、この20年間、証拠として確認できたものはないはずだ。しかし、北朝鮮が「既に全員死亡」と繰り返し公式発表する以上は独自に生存を確認することが不可欠だ。現存のわが国情報関係組織は、いずこも国際水準には達していない。まずは、従来の手法を乗り越え、リスクをとる覚悟のある少数精鋭のプロ集団(所属、地位を問わず)を立ち上げ、国益を最優先とした広範な活動を遂行させ、これを政治指導者が容認し、保護することだ。行政事務に傾斜した現在の拉致問題対策本部は、発足当初の家族支援室に戻せばよい。
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