2010年代はインターネットの夢が語られた時代だった。これまで既得権益を独占してきた、マスメディアに取って代わり、ツイッターなどSNSが「新たな公共的議論の場」に、という夢はいよいよ現実のものになっていくと思われた。しかし、そうはならなかった。
新型コロナ禍、安倍晋三元首相の銃撃事件と国葬……といった社会を二分するような問題が起こるたびに、感情的な言葉の応酬が始まり、亀裂が深まっていくという光景を繰り返し見てきた。
党派性は“論破”を呼び寄せる。政治的な立場を問わず、論客たちがインターネットを主戦場にして、いかに相手の主張がおかしく、“私たち”のほうが正しいかを主張する場面をたびたび目にするようになった。そこに“私たち”以外の考えを受け止める余裕は感じられない。
2022年の取材で、印象的なシーンがあった。長年、旧統一教会信者をはじめとする脱カルト支援活動に関わってきた宗教家に話を聞いていたときのことである。彼は、自身の発言が“炎上”した経験談を語ってくれた。違法行為に加担していない個々の信者まで批判する言説に、「危うさを感じる」と語っただけで、彼は旧統一教会擁護派というレッテルを貼られたというものだ。
今まで、カルト宗教の問題にほとんど関心も持ってこなかった人々が、ニュースをきっかけに突然目覚め、実務的かつ地道に信者の脱会支援に取り組んできた宗教家を公然と揶揄する。まさに社会の“分断”を絵に描いたような状況にあって、彼は冷静だった。「自分たちは絶対善の正しい存在、相手は絶対悪という思想そのものがカルトの思想なのであり、社会の側がそれにとらわれてはいけない」と淡々とした口調で語っていた。彼らの地道な実践の中で、有効なカルト支援のあり方も確実にアップデートされている。その要諦は、相手の言っていることをひとまず尊重することにある。
彼らの知見を踏まえると、信者に対して教団のネガティブな事実を積み上げ、教義そのものが抱えている矛盾点を提示した上で、「お前の信仰はおかしい」と論破する行為は、多くのケースで逆効果でしかない。なぜなら、信者自身もちょっと調べればわかるような矛盾や社会的な問題点には気がついているからだ。指摘されることによって、より頑なな態度になっていく。
むしろ、有効な支援とはカルト信者の信仰を否定しないことから開ける。彼らは彼らで、それぞれ固有の事情を抱えて居場所を求めている。その事実を受け止め、彼らがカルトを頼ることになった悩みや迷いと支援をする側が誠実に向き合うこと、ここからしか支援は始まらないというのだ。論破によって排除を試みたところで、最後に残るのは「否定された」という感情だ。それより大切なのは、社会には多様な受け入れ先がある、と示すことに尽きる。居場所は一つではないし、考え方も一つではないことを支援する側が示していくことが重要なのだ。
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