「殺されるかもしれない」。命がけで臨んだ拉致問題
今から約20年前の2002年9月17日。日が昇り切らず、薄暗さが残る朝5時だというのに、富ヶ谷の安倍晋三邸の前には大勢の記者が詰めかけていた。私もそのうちの一人だった。NHKの政治部記者として安倍番になって、2か月しか経っていない頃だ。
この日、小泉純一郎総理が北朝鮮を訪問し、最高指導者である金正日との首脳会談に臨む、「電撃訪朝」が予定されていた。官房副長官として同行する安倍の出発を、記者たちは今か今かと待ち受けていたのだ。
しばらくして、玄関口に現れた安倍は記者たちを一瞥すると、送迎車に乗り込んだ。その時の凍てつくような厳しい表情は今も忘れない。
「北朝鮮で殺されるかもしれない。政治家の妻として、覚悟しておいてほしい」
実はこの日の出発前に、安倍は妻の昭恵にそう打ち明けている。今回の取材で、初めて耳にしたエピソードだ。過去20年取材した中でも、これほど重い言葉を聞いたことはなかった。
それまでにも北朝鮮は、外国人の拉致だけでなく、115人もの死者を出した大韓航空機爆破事件など、指導者の命令によって数々の凶悪犯罪に手を染めてきた。そうした国家と対峙するにあたって、安倍は命を懸ける覚悟だったのだろう。昨年7月に安倍が凶弾に倒れた際、昭恵の脳裏に真っ先に浮かんだのが、この「殺されるかもしれない」という言葉だという。
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source : 文藝春秋 2023年3月号