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「週刊文春」特集班のデスクだった2002年のある日、一人の記者から見せられた捜査ファイルの衝撃は今もはっきりと覚えています。
そこには「取扱注意 警察庁指定116号事件」と記されていました。
「116号事件」とは、1987年5月3日に起きた朝日新聞阪神支局銃撃をはじめとする、「赤報隊」を名乗る犯行グループによる連続テロ事件の総称です。
赤報隊は朝日新聞の他にも、リクルート社や中曽根康弘、竹下登両元首相をも標的にし、日本中を震撼させました。
週刊文春の記者が入手したのは、警察庁、兵庫県警が時効前の1998年にひそかに作成した20冊に及ぶ捜査ファイルの束でした。
時効は翌2003年に迫っていました。週刊文春では新年特大号の目玉記事とするべく、精鋭部隊による「116号事件取材班」を結成しました。膨大な捜査ファイルの中でもとりわけ取材班の目を引いたのが、「重要捜査対象者9人」と題されたリストです。そこには右翼関係者9人の個人名やプロフィール等が詳細に書かれていました。
取材班は手分けして、この9人を次々に直撃しましたが、結論からいえば、決定的な証言を引き出すことはできませんでした。
荒っぽい口調で事件への関与を否定する人もいれば、肝心な点ははぐらかしながらも思わせぶりなことを言う人もいましたが、担当デスクだった私が強く印象に残ったのは、誰もが赤報隊によるテロを評価、賞賛していたことです。
取材の成果は「朝日銃撃『赤報隊事件』絞り込まれた九人の『容疑者』」(2003年1月2・9日新年特大号)とのタイトルで、9ページにわたり、リストに登場する人物への直撃取材の様子を報じましたが、核心に迫れなかったもどかしさが残りました。
取材班は時効後も何本かの関連記事は残したものの、ほどなくして解散しました。
ただ実は、私と一部の記者はその後も断続的に取材を続け、折に触れて情報交換を続けました。もちろん当時の取材データも大切に保管してあります。
私たちが注目したのは116号事件の中でも捜査員が「きわめて異質」と口を揃えるリクルート元会長・江副浩正氏宅への銃撃事件でした。
なぜリクルートが狙われたのか――ここを起点に事件を解明していけば、朝日新聞襲撃犯にもたどり着くのではないか。
大きな突破口となったのが大物右翼・野村秋介氏(故人)の金庫番だった盛田正敏氏の証言でした。
これ以上書くとネタバレになってしまいますが、20年がかりで事件の真相に肉薄できたのではないか、という手応えはあります。
本文中に実名で登場する盛田氏には早刷りの見本誌をいち早くお持ちしましたが、一読後、「記事は何の問題もない」との連絡をいただきました。
25ページにわたる「朝日襲撃『赤報隊』の正体」をぜひお読みください。
「私たちの取材に時効はない」――。久しぶりに記者の原点に立ち返って、事件取材の醍醐味を実感することができました。
文藝春秋編集長 新谷学
source : 文藝春秋 電子版オリジナル