国産で来た半世紀

日本人へ 第128回

塩野 七生 作家・在イタリア
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 処女作を書き始めていた頃だから、半世紀も昔の話になる。原稿用紙に向うのは大学の卒業論文以来というシロウトの担当をさせられた塙嘉彦は当時は『中央公論』の編集者だったが、二人とも、三十歳を中にした三歳ちがいと若かった。私が書いた原稿の問題点を洗い出す作業中に、その彼が言ったのである。

「翻訳文化の岩波に抗して、ボクたちは国産で行こう」

 あの時代の岩波書店の影響力を考えれば、いかに若者は大志を抱けと言ったって暴論もよいところである。だが、言われた私も「OKそれで行きましょう」なんて答え、二人ともスポーツ選手でもあるかのように手をガッチと合わせたからお笑いだった。

 十五年後に、塙さんは白血病で世を去る。残された私はその後も書きつづけたが、その私からは少しずつ、学者たちのメッカでもある岩波の存在が薄らいでいったのだ。彼が死んだから、ではなかった。ヴェネツィア共和国を書きマキアヴェッリも書き終えつつあった私の頭は、五百年昔のルネサンス時代に生きた人々と同じになっていたからだと思う。

 ルネサンスとは、疑いから始まった精神運動である。一千年もの間キリスト教の教えに忠実に生きてきたのになぜ人間性は改善されなかったのか、という疑問をいだいた人々が、ならばキリスト教が存在しなかった古代では人は何を信じて生きていたのか、と考え始めたことから起った運動だ。だからこそ「古代復興」が、ルネサンスの最初の旗印になったのである。となれば頭の中はルネサンス人的になっていた私の次の関心が、古代に向ったのも自然な流れであった。

 ところが、『ローマ人の物語』を書く勉強を始めながらあることに気づいたのである。書くためにはヨーロッパの学者たちの著作を読むのは不可欠だが、それをしているうちに、キリスト教がなかった古代を専門に研究しているにかかわらず、この人々の論調に、ヘソの緒が切れていないとでもいう感じをもつようになったのだ。彼らはどうあがこうと、キリスト教徒なのである。この種のヘソの緒が切れていない人々による古代研究を勉強しながらも、そこにある隙間が気になって仕方がなかった。

 私はキリスト教徒ではない。と言って、無神論者でもない。日本式の八百よろずだが、これが多神教だった古代ローマへの接近の第一歩になった。なにしろ私にはヘソの緒自体がないのだから、切れたも切れないもない、ということになる。そして、絶大なる影響力をふるってきた岩波の翻訳文化とは、ヘソの緒が切れていない欧米人の著作を、もともとからしてヘソの緒のない日本人に向って伝達してきた、ということではなかったかと。

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source : 文藝春秋 2014年1月号

genre : ニュース 社会 国際 歴史